ひこうきと流れ星
#わたしとJAL の繋がりは、今から36年前の8月まで遡ります。当時高校生だった👽は、夏休みの陸上部の部活をサボって、2週間の自転車放浪の旅をしていました。
そして、8月12日の月曜日は、国道299号線は佐久の山の中をひいひい言いながら荷物満載の自転車で登っておりました(笑)
19時になってテントを設営し、20:30頃に自宅に定時連絡を公衆電話で入れたところ、日航機の墜落でテレビニュースが大騒ぎとのこと。ラジオも持たずに放浪していたので墜落事故については『事故現場がすごい近いな...』以外は、特に何も思いませんでした。
21時も過ぎて乾電池のランタンの光以外真っ暗な夜に、数万もの瞬く星々。ストーブに火を入れてお湯を沸かし、当時からソロキャンプ定番のカップ麺を啜って夜空を見上げていました。
すると一条の流れ星が。
いや、二つ、三つと次第に重なる幾重もの流れ星の束。次第に雨のように、しかし音もなく大量の星が降ってきます。
怖くなってテントに入って丸るまるも、ちょっと離れた地元の集落が異様な流れ星の数のせいか騒がしい。人の声に安堵して声の元に向かうと、既に123便の事故を知った人たちが
『あの流れ星は123便の人たちの魂だな』
と声を上げ始めました。
わたしの魂が震えた瞬間です。
奇しくも #わたしとJAL のはじめての繋がりは星となった犠牲者の魂たち。のちにこの流星群はペルセウス座流星群の時期と一致することを知るので『あーなるほど』となるのですが、雨のように降る怖いほどの流れ星は、流星群のそれとは違うと信じるには十分すぎるほどの信憑性を、高校生の👽に焼き付けました。
事故から25年が経った2010年に、はじめてJALのアーカイブズセンター(当時)と安全啓発センター(移転前)を訪れました。あの時見た雨のような流れ星を思い出しつつ、ネガティブになりがちな事故の全貌を隠さず、社員の安全啓発のため公開し、お客様の安全を第一に、あの事故以降に人が亡くなるような大きな事故を起こさないJALを信用して、今日もまたJALの翼に乗りつづける👽がいます。
就航70周年おめでとうございます。
これからもどうか安全運行で私たちの命をお守りください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そして、8月12日の月曜日は、国道299号線は佐久の山の中をひいひい言いながら荷物満載の自転車で登っておりました(笑)
19時になってテントを設営し、20:30頃に自宅に定時連絡を公衆電話で入れたところ、日航機の墜落でテレビニュースが大騒ぎとのこと。ラジオも持たずに放浪していたので墜落事故については『事故現場がすごい近いな...』以外は、特に何も思いませんでした。
21時も過ぎて乾電池のランタンの光以外真っ暗な夜に、数万もの瞬く星々。ストーブに火を入れてお湯を沸かし、当時からソロキャンプ定番のカップ麺を啜って夜空を見上げていました。
すると一条の流れ星が。
いや、二つ、三つと次第に重なる幾重もの流れ星の束。次第に雨のように、しかし音もなく大量の星が降ってきます。
怖くなってテントに入って丸るまるも、ちょっと離れた地元の集落が異様な流れ星の数のせいか騒がしい。人の声に安堵して声の元に向かうと、既に123便の事故を知った人たちが
『あの流れ星は123便の人たちの魂だな』
と声を上げ始めました。
わたしの魂が震えた瞬間です。
奇しくも #わたしとJAL のはじめての繋がりは星となった犠牲者の魂たち。のちにこの流星群はペルセウス座流星群の時期と一致することを知るので『あーなるほど』となるのですが、雨のように降る怖いほどの流れ星は、流星群のそれとは違うと信じるには十分すぎるほどの信憑性を、高校生の👽に焼き付けました。
事故から25年が経った2010年に、はじめてJALのアーカイブズセンター(当時)と安全啓発センター(移転前)を訪れました。あの時見た雨のような流れ星を思い出しつつ、ネガティブになりがちな事故の全貌を隠さず、社員の安全啓発のため公開し、お客様の安全を第一に、あの事故以降に人が亡くなるような大きな事故を起こさないJALを信用して、今日もまたJALの翼に乗りつづける👽がいます。
就航70周年おめでとうございます。
これからもどうか安全運行で私たちの命をお守りください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。