搭乗日
2002年01月
RAC DHC-6ラストフライトから20年
(画像は式典撮影会時のものです。)
国際・国内・地域情勢、自身の状況、出発地・目的地の天候が幾らか整った時、そこで航空旅行へ行けるもの。
本日2022年1月23日は当初は沖縄県先島諸島へ向かうつもりでしたが、上記が整わず見合わせです。それから、先の条件を意識するようになったのも、沖縄離島訪島からです。
今日、RAC DHC-6ラストフライトから20年。
さかのぼれば22年前の元日に自身のRAC初搭乗でDHC-6型機に乗ったのですが、それまでJAC SAAB340Bが自分の乗った最小サイズ機だったところをDHC-6で更新。
客室乗務員または保安要員がおらず、客席からコックピットそして前方窓の向こうを見たのも初。こんな面白い飛行機があったのかと思ったものでした。
到着した(旧)多良間空港で機長と懇談する機会もあり、乗ったばかりの客席数19の旅客機への興味と離島空港訪問への意欲が増幅されました。
この時既に沖縄のDHC-6の退役時期が迫っており、搭乗当日は3年先だろうか等々言い合い、そのラストフライトには乗りに来たいとも思いました。
その日は予想より早まって、2002年1月23日(水)。運良く定期便ラストフライトの席が確保出来、宮古・多良間の天候を心配しましたが、往路便は曇天下の多良間空港に着陸。「ラスト」ならではの旅客機趣味人によるシーンが見られました。ただしそこは多良間空港、長閑さがありました。
そして定期便ラストフライト。一旦離陸した後、再度多良間空港ランウェイ02へ、そこをローパス。本当に接地しようかという高さで、コックピットクルーの計らいに客席では拍手が起きました。後年多良間空港でこのことが話題に上がり、空港の人も「また帰って来たのでびっくりした」とのこと。
この後特別便招待にも当選。ラストフライト日以前ではDHC-6には4回しか乗っていないにもかかわらず、この日定期便最終多良間往復に加え、特別便にも乗せて頂きました。これは私からRACへ何か還元していかないと。
以降JMB非加算のRAC搭乗が増加(現在は加算)。今の私の非JMBダイヤモンド・非JGCプレミア主義(?)はDHC-6搭乗が原点だったように思えます。
#RAC
国際・国内・地域情勢、自身の状況、出発地・目的地の天候が幾らか整った時、そこで航空旅行へ行けるもの。
本日2022年1月23日は当初は沖縄県先島諸島へ向かうつもりでしたが、上記が整わず見合わせです。それから、先の条件を意識するようになったのも、沖縄離島訪島からです。
今日、RAC DHC-6ラストフライトから20年。
さかのぼれば22年前の元日に自身のRAC初搭乗でDHC-6型機に乗ったのですが、それまでJAC SAAB340Bが自分の乗った最小サイズ機だったところをDHC-6で更新。
客室乗務員または保安要員がおらず、客席からコックピットそして前方窓の向こうを見たのも初。こんな面白い飛行機があったのかと思ったものでした。
到着した(旧)多良間空港で機長と懇談する機会もあり、乗ったばかりの客席数19の旅客機への興味と離島空港訪問への意欲が増幅されました。
この時既に沖縄のDHC-6の退役時期が迫っており、搭乗当日は3年先だろうか等々言い合い、そのラストフライトには乗りに来たいとも思いました。
その日は予想より早まって、2002年1月23日(水)。運良く定期便ラストフライトの席が確保出来、宮古・多良間の天候を心配しましたが、往路便は曇天下の多良間空港に着陸。「ラスト」ならではの旅客機趣味人によるシーンが見られました。ただしそこは多良間空港、長閑さがありました。
そして定期便ラストフライト。一旦離陸した後、再度多良間空港ランウェイ02へ、そこをローパス。本当に接地しようかという高さで、コックピットクルーの計らいに客席では拍手が起きました。後年多良間空港でこのことが話題に上がり、空港の人も「また帰って来たのでびっくりした」とのこと。
この後特別便招待にも当選。ラストフライト日以前ではDHC-6には4回しか乗っていないにもかかわらず、この日定期便最終多良間往復に加え、特別便にも乗せて頂きました。これは私からRACへ何か還元していかないと。
以降JMB非加算のRAC搭乗が増加(現在は加算)。今の私の非JMBダイヤモンド・非JGCプレミア主義(?)はDHC-6搭乗が原点だったように思えます。
#RAC