#春色 #春さがし #故郷探訪 #旅写真 #jaltrico
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
太田道灌に関する故事から
室町時代後期に活躍した武将太田道灌は、ある日、鷹狩に出かた。ところが急に雨に見舞われ、近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花の一枝を道灌に差し出した。道灌は花を求めたのではないのにと、憤慨して立ち去ったとのこと。後でこのことを家臣に話すと、それは、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌を踏まえたもので、娘は貧乏で道灌様にお貸しする蓑一つもございませんということを、山吹に託して告げたのですと答えた。これを聞いた道灌は自らの無学を恥じ、それ以来和歌に精進し、立派な歌人になったそうな。
この画像も散歩途上に見つけたものである。この話は私の学生時代に感銘を受けた一つのものでもある。
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
太田道灌に関する故事から
室町時代後期に活躍した武将太田道灌は、ある日、鷹狩に出かた。ところが急に雨に見舞われ、近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花の一枝を道灌に差し出した。道灌は花を求めたのではないのにと、憤慨して立ち去ったとのこと。後でこのことを家臣に話すと、それは、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌を踏まえたもので、娘は貧乏で道灌様にお貸しする蓑一つもございませんということを、山吹に託して告げたのですと答えた。これを聞いた道灌は自らの無学を恥じ、それ以来和歌に精進し、立派な歌人になったそうな。
この画像も散歩途上に見つけたものである。この話は私の学生時代に感銘を受けた一つのものでもある。
阿南市(徳島県阿南市)