#文化の秋 のテーマにちなんで #マニラ の歴史にまつわる話を断続的に紹介しています。美しいものばかりではないですが、あくまで歴史的に見て「日本で紹介すべき」と思うことを載せていきます。
歴史や海外事情に関心のある方、ご覧いただければ幸いです。
【マニラ紀行⑤-C】
#イントラムロス の #サンチャゴ要塞 公園敷地内にある各種の戦争遺跡より。
1~2枚目は「サンフランシスコ城郭跡」です。保存状態が良好で、とても綺麗に整備され、昼間から内部がライトアップされています。これは昔、要塞の裏口として機能していた通用門らしく、かつてトンネルの先は別の要塞そして海に通じていました。
先の大戦中は、日本軍が弾薬庫などとして活用していたようです。
3~5枚目は米国植民地時代に建てられた米軍のバラック。
大東亜戦争中は日本軍の指令所が置かれており、昭和20年2~3月のマニラ市街戦では文字通り激戦地となりました。米軍による凄まじい砲撃のせいで痛みが激しいため、現在は保存のため太い鉄骨が添えられ、なんとか倒壊を防いでいます。
ご覧のとおり、鉄筋コンクリート製の堅固さは見る影もなく打ち砕かれています。
壁に開いている穴は、もちろん飛んできた砲弾が当たった跡。
当時の戦闘状況がどうだったか、想像するだけで身震いしてしまうような遺跡です。
#旅写真 #歴史探訪 #史跡 #戦跡
歴史や海外事情に関心のある方、ご覧いただければ幸いです。
【マニラ紀行⑤-C】
#イントラムロス の #サンチャゴ要塞 公園敷地内にある各種の戦争遺跡より。
1~2枚目は「サンフランシスコ城郭跡」です。保存状態が良好で、とても綺麗に整備され、昼間から内部がライトアップされています。これは昔、要塞の裏口として機能していた通用門らしく、かつてトンネルの先は別の要塞そして海に通じていました。
先の大戦中は、日本軍が弾薬庫などとして活用していたようです。
3~5枚目は米国植民地時代に建てられた米軍のバラック。
大東亜戦争中は日本軍の指令所が置かれており、昭和20年2~3月のマニラ市街戦では文字通り激戦地となりました。米軍による凄まじい砲撃のせいで痛みが激しいため、現在は保存のため太い鉄骨が添えられ、なんとか倒壊を防いでいます。
ご覧のとおり、鉄筋コンクリート製の堅固さは見る影もなく打ち砕かれています。
壁に開いている穴は、もちろん飛んできた砲弾が当たった跡。
当時の戦闘状況がどうだったか、想像するだけで身震いしてしまうような遺跡です。
#旅写真 #歴史探訪 #史跡 #戦跡