東京に住む孫娘が、受験するので、地元松山市と隣町の神社に受験合格祈願で、お詣りし、お守りを授かり、ゆうパックで送りました。中でも横河原水天宮は、初代城主加藤嘉明が城下を拓くにあたり、暴れ川の伊予川を制圧するため、改修工事の安全祈願祭を行った場所です。お祀りした水天宮は、工事の実施に当たり九州久留米から水制に長けた技術者を招請し、その技術者が地元水天宮を分社したことによるものです。工事は25年かかり、水難が収まり、新田が5000町歩出来、松山に城下をおくことができることとなりました。改修事業の功績により、後年地元民は、伊予川の名称を工事責任者の足立重信公の名前とって重信川に変更されました。なお、全国でも人名が川の名前に付いたのは、ここだけだろうと、司馬朗太郎さんが街道を行くの著書で書かれています。終りに、孫娘は、2月10日まで入試で奮闘中、3月春休みには、四国松山へ帰省します。道後温泉の着物屋さんで、着物を借り、13参りで近くの神社へ詣でることをジーは企み中です。拙文をお読みただいたみなさん、それぞれ楽しい空の旅をお続けくださーい。