平安時代に書かれた「更級日記」の作者の菅原孝標女は、13歳の頃まで父の任地だった上総国府、現在の千葉県市原市に住んでいました。市原の五井駅前には「更級通り」という道があって、彼女の像も建てられています。
冒頭では源氏物語の世界に憧れて、京都に帰って物語を読むのを楽しみにしていた菅原孝標女が、父の帰任に伴って旅立ちの日を迎え、今の江戸川や隅田川を渡って港区の芝辺りに立ち寄る記述があります。彼女が上総国から京都に戻る旅に出た寛󠄁仁4年(1020年)から今年できっかり1000年。葦が生い茂るばかりだった武蔵国が、1000年後は都になっていると聞いたらびっくりするでしょうね。
#旅を夢見て
冒頭では源氏物語の世界に憧れて、京都に帰って物語を読むのを楽しみにしていた菅原孝標女が、父の帰任に伴って旅立ちの日を迎え、今の江戸川や隅田川を渡って港区の芝辺りに立ち寄る記述があります。彼女が上総国から京都に戻る旅に出た寛󠄁仁4年(1020年)から今年できっかり1000年。葦が生い茂るばかりだった武蔵国が、1000年後は都になっていると聞いたらびっくりするでしょうね。
#旅を夢見て
更級通り(千葉県市原市)