発見レポ
2020/05/26 08:52
平安時代に書かれた「更級日記」の作者の菅原孝標女は、13歳の頃まで父の任地だった上総国府、現在の千葉県市原市に住んでいました。市原の五井駅前には「更級通り」という道があって、彼女の像も建てられています。

冒頭では源氏物語の世界に憧れて、京都に帰って物語を読むのを楽しみにしていた菅原孝標女が、父の帰任に伴って旅立ちの日を迎え、今の江戸川や隅田川を渡って港区の芝辺りに立ち寄る記述があります。彼女が上総国から京都に戻る旅に出た寛󠄁仁4年(1020年)から今年できっかり1000年。葦が生い茂るばかりだった武蔵国が、1000年後は都になっていると聞いたらびっくりするでしょうね。
#旅を夢見て
更級通り(千葉県市原市)
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  • 高校時代、大好きだった古典📕
    源氏物語、更級日記ともに親しみました。
    更級日記の作者の像が千葉にあるとは!

    マンスリーキャンペーン、受賞おめでとうございます🎁🎂🎉
    いいね行ってみたい行った
    • ありがとうございます!自分でも投稿したのを忘れてました(笑)。私も全然別件で五井を訪ねてみたら、更級日記の街という看板がたくさん立っていました。しかし、上総国府が実際にどのあたりにあったのかは、まだハッキリとは分かっていないそうです。近くをよく訪ねるのですが「この辺りかな?」と想像しながら回るのも楽しいです。
      いいね行ってみたい行った
  • 更級日記の
    はしるはしる、わづかに見つつ…の章
    人も交じらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ
    という文章に深く共感しています。夢見る文学少女!
    いいね行ってみたい行った
    • 1000年たっても共感する人が多いのは、きっと人の暮らしは変わっても、多くの人が通った道だからなんだと思います。当時の東国の様子は、今で言ったらどのあたりの感覚なんでしょうね。お父さんがこの後、常陸国(茨城県)に赴任するときなど、今生の別れぐらいの書き方をされていたので、東国は今の世の中の外国よりもずっと遠い存在だったんだろうなと思います。
      いいね行ってみたい行った
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