発見レポ
郡上八幡城
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昨日少し触れさせて頂きました「木造再建天守」の「日本最古の御城」の岐阜県郡上市「郡上八幡城」を御紹介させて頂きます♪「1221年(鎌倉時代)」下総東庄の「東氏傍系東胤行(とうのたねゆき)が山田庄を賜り郡上の地を治め始めた事に端を発する永い歴史を持つ郡上のシンボルマークが「木造再建天守80周年」を迎えた此の御城です♪暫くの間此の地は「東氏」の所領となりますが十三代「東常慶」が「1532年~築城年不詳」に掛けて「東殿山城」を築いた事が現在の先代の「郡上八幡最初の御城」で現在の「郡上八幡城」の場所に築かれたのは僅「3数十年後」に隣接する「大和町(現郡上市大和町)木越城主 遠藤胤縁(えんどうたねより)」を「東常慶の子 常堯(つねたか)」が暗殺し其の報復として「常堯(つねたか)の弟 盛数」に返討され「東氏」が滅び「遠藤氏」が現在の「八幡山」に築かれた御城が基礎となっております♪此処で古の浪漫話が一つ在ります♪其は「遠藤盛数(えんどうもりかず)」の娘「千代」は「戦国時代」の戦乱の最中「美濃国から尾張国」に逃れ其処で当時の「尾張国岩倉城」で父を失った若き日の「山内一豊公」と出逢い其の後「功名が辻の妻」として名高い「山内一豊公の正室御千代の方」が「郡上八幡城」で産声を上げた事は有名な話であり其も事実で在る事は正に「戦国の浪漫」と云えるでしょう(笑)さて此の静な郡上の地も戦国の世の常には抗えず「美濃国」征服を狙う「織田信長公」や其の後も「豊臣秀吉公」最後は「徳川家康公」と為政者が変わる度に城主も次々に代わり「遠藤氏二代目 慶隆」が関ヶ原で功を上げた為「1607年」に大御所「家康公」の赦しで「郡上八幡城」の大改築が実現し現在の姿になったと云われております♪其の後も「城主の早世」や「高山陣屋」の「目付」としての役割的の此の地は「徳川氏」の「中堅譜代」が代る代る城主となり「明治」の「廃藩置県」で廃城に為る迄続く事となりました♪其の後「1940年(昭和15年)」に「日本初」の「木造再建天守」として再建され戦後は城郭や石垣等を整備し現在に到っております(笑)アクセスは「JR 名鉄岐阜駅前」拠り「高速バス」が一般的です(笑) #私の2020 #冬到来 #旅写真 #旅のススメ #紅葉狩り #旅行計画 #鈍行ブラリ旅 #自然 #城郭 #マイルの貯め方 #マイルのススメ #JALCARD #JMB
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