発見レポ
スターリン博物館
4件
2024/06/22 07:07
🇬🇪ジョージア 七変化な国⑬【スターリンの愛用列車、その死】 スターリン博物館には、スターリン愛用の列車が展示されています。列車はアメリカのALKO社製ディーゼル機関車によって牽引されました。なんとアメリカがソ連に供与したものです。第二次世界大戦末期、アメリカのルーズベルト大統領やイギリスのチャーチル首相とクリミア半島のヤルタで会談しましたが、ヤルタが選ばれたのはモスクワから陸路で来られる場所だったからです。独裁者の顔を持つ一方で、じつは臆病だったスターリンは、ヤルタまでは、銃撃を受けても銃弾が貫通しない頑丈なつくりの装甲列車で移動しました。北朝鮮の誰かさんと同じです。頑丈な外装とは裏腹に、内部は質素な作りで、専用のトイレと浴槽があるものの、至って庶民列車です。列車移動中での襲撃による死を恐れていた独裁者スターリンにも、やがて死が訪れ、74歳で亡くなります。葬儀を取り仕切ったのがフルシチョフです。死因は脳卒中とされていますが、フルシチョフの発言にあやふやな点があり、陰謀死とも言われ、スターリンの突然死の権力闘争を題材にした映画「スターリンの葬送狂騒曲」というブラックコメディが作られました。この映画、むちゃくちゃ面白く、もしかしたから、これが真相なのかとも思っしまうほどの出来栄えです。しかもこの映画、全編、英語です。抱腹絶倒間違いなしのオススメ映画です。映画を思い出しながらも、一方で、当時を偲びながらこの列車でロシアの大地を走りたいと空想していると、車は次の最終目的地に向けて出発します。 #穴場スポット #旅まとめ #旅写真 #旅エピソード #jaltrico #スターリン
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2024/06/21 06:53
🇬🇪ジョージア 七変化な国⑫【スターリンは北朝鮮の生みの親】 一昨日の北朝鮮でのプーチン大統領の歓迎式典の会場になった「金日成広場」は、ソ連が設計しました。金日成主席は、「我が国はネジ1本に至るまで全部ソ連製だ」とよく言っていたのは有名な話です。その背景として、太平洋戦争末期、ソ連は日本との戦争を想定し、日本人との戦闘経験のある中国人、朝鮮人の部隊を結成し、金日成はソ連軍大尉として第一大隊を率いていました。戦後、スターリンは北朝鮮においてソ連の影響力を残せるのに最適なリーダーを選ぶため、1946年7月、2人の朝鮮人リーダーと面接を行い、金日成を選びました。北朝鮮は、ソ連が作った国、すなわち「スターリンが作った国」なんです。そういう意味では、「金日成自身もソ連製」で、今日のキム・ジョンウンまで続く北朝鮮の「金王朝」は、スターリンが作ったも同然です。最近のプーチン&キム・ジョンウンは、まさに歴史は繰り返すです。今回、ロシアと北朝鮮で交わされた「包括的戦略パートナーシップ条約」に織り込まれた「どちらかの国が戦争状態になれば直ちに軍事介入する」とは、1961年にソビエト社会主義共和国連邦と朝鮮民主主義人民共和国との間で結ばれたソ朝友好協力相互援助条約と同じ内容が復活しました。時代が変わって、今や、北朝鮮がロシアにウクライナ侵略戦争への爆薬を支援していますが、ベースはスターリンが道を作っています。スターリンと、今のキム・ジョンウンがこんな歴史で繋がっていることを知っている日本人はどれぐらいいるのでしょう... ③建物の中央の部分にスターリンの生家が移設されている #スターリン #穴場スポット #旅まとめ #旅写真 #旅エピソード #jaltrico
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2024/06/20 06:45
🇬🇪ジョージア 七変化な国⑪【スターリンは独裁者】 「スターリン博物館」は、ジョージアのゴリ生まれの ソビエト連邦の指導者スターリンの功績を称えた博物館です。非常に優秀な学生でしたが、徐々に社会主義思想に傾倒し、21歳のときには、革命家としてロシア転覆を計画するようになります。レーニンによるロシア革命により要職につき、権力を拡大、46歳のときレーニンが没し、ついにソ連の最高権力者となります。農業の集約化や工業化で国力を伸ばし、第2時世界大戦を勝利に導き、その後も国力増強、冷戦の東側を率いた功労者の顔の一方で、超独裁体制の中で行った「大粛清」では、250〜1000万人が命を落としたと推定されています。死後、激しい非難を浴びることになります。だいたい、こんな知識を持ちえていたので、スターリンは「恐怖の人」「粛清の殺戮者」のイメージがありました。確かに博物館では数々の功績を、「強面」でなしえた人で、「怖い顔」をした写真しか見た事がありませんでした。しかし、にこやかな笑みを浮かべた写真もいくつかあり、鋼鉄の男の意外な一面もあり、驚きますが、やはり、スターリンがそこにいるかの威圧的な雰囲気が漂っています。執務室兼司令室も再現されていますが、北朝鮮のキム・ジョンウンの話に一語一句記入漏れがないようメモを撮っているニュース映像がダブってきます。ここで粗相すれば、「死」というものすごい緊張感が張り詰められていたのは容易に想像できます。1人パイプをくゆらせながら、モクモクな煙が立ち込め、同席者達はむせかえりながらも、オドオドしていなはずです。そういったイメージが勝手に湧き上がってきて、長居をすると拷問にでもかけられそうな気持ちになり、他のツアー客を残し、薄暗い館内から陽光が降り注ぐ館外へと足早に出ます。 #穴場スポット #旅まとめ #旅写真 #旅エピソード #jaltrico #スターリン
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2024/06/19 06:36
🇬🇪ジョージア 七変化な国⑩【スターリンはジョージア出身】 昼食後、車はだんだんと街中を20分ほど走り、ジョージアで5番目に人口の多い「ゴリ(გორი)」の「スターリン博物館」に着きます。1945年のヤルタ会談でチャーチル、ルーズヴェルトとともによく3人一緒で写真に写っていのが、ソ連の「スターリン」です。なんでスターリン博物館がロシアではなくてジョージアにあり、しかもツアーに組み込まれているのか不思議でした。どのツアーも入っているので仕方なく、車を降ります。実はスターリンはジョージアのここゴリに生まれたジョージア人だったんです。旧ソビエト連邦の指導者、ヨセフ・ベサリオニス・ゼ・ジュガシヴィリとして、ここゴリに1878年に生まれました。名前に「スターリン」が入っていません。彼は自ら、ロシア語で「鋼鉄」の意味のスターリン(იოსებ ბესარიონის ძე სტალინი)を名前としました。1883年までスターリンが住んでいた生家は、この博物館に展示されています。博物館はスターリンゴシック様式の大きな宮殿で、1951年に建設が開始され、1953年にスターリンが亡くなり、スターリンの生涯を記念した博物館としてオープンしました。館内に1歩足を踏み入れると、いかにもソ連的な威圧的な階段があり、自分の頭の中にあるソ連のイメージと重なり、1950年代のソビエト連邦にいるかの錯覚に陥ります。階段を上がると2Fが展示室です。いよいよ、スターリンの扉か開かれます。 #穴場スポット #旅写真 #旅まとめ #旅エピソード #jaltrico
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