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大阪大井
大阪系JALファンです。
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約7時間前
ファン歴が長いほど楽しくなるJACフェスティバル
3月17日(日)JACフェスティバルに於ける航空教室会場にて、聴講する私のところへCAさんがステッカーを渡すべく歩み寄り、そして私へ言ったのは「ドルニエ時代から乗られているとお聞きしました」。 日本エアコミューターDo228。1983.12~1995.09で運航。なお私のJAC初搭乗は1998.07。 ・・・いやいやいや、私はJACのドルニエには乗っておりませぬ。どこでそんな話になったんや!?→本件は以下のことが人から人への伝達過程で変わっていったと思われます。 JACではDo228に乗っていませんが、壱岐国際航空にてJAC Do228初号機であるJA8835に4回乗りました。 こう言えば、多くの方が「壱岐国際航空?」となります。こちらの航空会社は2001.11~2002.01に福岡~壱岐に就航。使用機材はJA8835の1機のみ。運航期間は2ヶ月未満でしたが、私は初月度と最終月度でそれぞれ2回搭乗。 こうして一応JAC初号機に4回乗った訳ですが、これが冒頭の件へと変わったと思われます。 けれども壱岐国際時代のJA8835客室の腰掛モケットはハイビスカス柄で、これがJAC時代からの継承であると容易に判り、よって壱岐往復でも奄美の雰囲気を味わえたのでした。 そして2002年の話が2024年のぶっ飛んだ、いや楽しいやり取りにつながった訳であります。 この他、歴代機種を紹介するコーナーの写真に「これ、22年前の△△さんやん!」とか「私はこの時この場所で・・・」とか言い、いっぽう私からも10年以上前のJAC画像を示します。 一昨日のJACフェスでは多くのスタッフと言葉を交わせたのですが、私が示す画像に一部スタッフはめちゃ大きく反応。「これ、梅田へ行った時!」・・・2009年9月にディアモールで撮ったものでしたが、これほどインパクトが大きいものとは想像しなんだ。 こうなると次のJACフェスへ向けて往時の画像をさらに準備したくなります。近い将来となるであろうその時は、「25年前の・・・」という台詞を私は発するでしょう。 趣味歴が長くなれば「昨日・今日・明日」をより深く語れる、かも! https://trico.jal.com/instantarticle/jaltalk/172527/ #JAC
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昨日
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新幹線敦賀開業初日でもITAMI空の市へ
第13回ITAMI空の市は3月16日(土)と17日(日)に開催!という訳で私は16日昼12:35に伊丹北ターミナル2階の会場へ。その混雑の様子を見ていたら近畿圏在住trico会員の方々から声を掛けられ、その言葉に私は「!?」。 「敦賀へ行っていて、こちらへは夕方かと」「敦賀から速攻で帰って来たのかと」だったように憶えていますが、要はこの日開業の北陸新幹線金沢~敦賀へ乗りに行ったのではということです。 確かに私はいわゆる「乗り鉄」を積極的に実行する輩と思っており、tricoへも列車の話題を投稿しますが・・・開業初日早々に乗りに行く趣味者と見られていたか! 私の実際の開業初日乗り鉄は、御堂筋線なかもず延伸・瀬戸大橋線・京葉線東京延伸・智頭急行・東西線・京急羽田空港延伸・九州新幹線・TX・九州新幹線博多延伸・・・だけでした。 以前は「初日に乗れたらええ」でしたが、2000年以降は「どうせなら1番列車」と先鋭化。九州新幹線とTXでそれを果たしましたが、新幹線だと近年は全車指定席での運行となったり、車内販売等のサービスが簡素化され、何か高揚感が足りないように感じます。そのため金沢延伸・新函館北斗延伸・西九州新幹線開業、そして今回は動きませんでした。 でももしかすると・・・西九州新幹線開業日に「但馬空港空の日イベント」が無ければ、一昨日空の市が無ければ、それぞれの新幹線1番列車自由席に乗りに行ってたかも。 ともあれ私がJALグループ行事を優先している事例であります。 #J-AIR
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2024/03/15
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2024/03/15 15:43
ふと思った乗り換え無し直行便
広島西~小松、広島西~新潟・・・29年前のJAL時刻表に掲載されていたグループ航空会社の路線です。 市街へは空港バスとの乗り換えが生じますが。 新幹線延伸や一部区間開業によって、鉄道移動での所用時間が従来より短縮されるいっぽう、列車どうしの乗り換えも生じます。それまでは直行だったのに~という旅客には不満が出るかもしれません、というか出ます。 これの救済策は無いものか・・・それは自家用車・バス・航空が担うことになりましょうが、航空の場合そういう路線が減り気味の感があり、冒頭の路線も今は昔。 人材・機材・空港発着枠や運用時間に限りがあることを思えば、無暗にリクエストすることも出来ません・・・。 移動を面倒と思う人は公共交通利用を止め、移動しなければならない人は新しい行き方で行き、そして移動を趣味とする人は工夫のしどころとなりましょう。 画像はビーチ1900D。運航するエアトランセは2005年3月13日函館~帯広に就航し、直行便の無い区間へ就航していきますが・・・運航を止めたのはいつだったっけ。 広島西飛行場本社時代のJ-AIRを彷彿させる路線展開を期待しましたが、既に16~19席ターボプロップ機による都市間運航の時代ではなくなっていたのでしょうか。 #J-AIR #5000件投稿チャレンジ 
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2024/03/14
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2024/03/14 14:12
NKA/日本近距離航空とJAL
2012年3月31日(土)までANAグループに「エアーニッポン」という航空会社がありました。 翌日ANAと合併したのですが、その直前には成田~ムンバイなどの国際線も運航していました。 この会社の1987年3月までの社名は「日本近距離航空」。その始まりは1974年、旅客19人乗りDHC-6-300で同一地域内都市間・離島へ就航していました。 3レターはNKA、知り合いのANA OBの方は「近距離」と呼んでいたこの会社で私が興味を持ったのは、設立時ではJALが出資していたことです。 エアーニッポンといえばもうANAグループであると機体塗装から判るのですが、NKAへのJAL出資を「鉄道ジャーナル」誌1980年1月号で見て、その比率はどれ程? 私の検索の仕方が悪かったのか以前はネットでは見つけられなかったですが、今回投稿に際してウィキペディアを見たら「ANA 30%、TDA 20%、JAL 10%」という記述を見つけました。 50年前のJAL国内線といえば、千歳・羽田・伊丹・福岡・那覇に就航するのみ。そういうJALがNKAへ出資していたことから、様々な事情があったでしょうが「国内ローカル路線にも関わる」のがうかがえます。 さかのぼれば1967年就航の南西航空へ出資し、NKA就航後では1991年にジャルフライトアカデミーJ-AIRを設けて広島空港発着AAC/朝日航空路線を継承しています。 大型機・幹線に目を向けがちですが、JALは小さいところへも関わっていると思えます。 画像は大島空港駐機中のANK/エアーニッポンのQ300。 ANA羽田~大島から移管された路線ですが、74マイルということからいかにも元・日本近距離航空の範疇に入ると思います。
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2024/03/13
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2024/03/13 14:23
毎年3月には鉄道のダイヤ改正が多く、それらを挙げていたらキリが無いのですが、「3月13日」と今週末の北陸新幹線延伸に因んだものを載せます。 津軽海峡線開業があった1988年3月13日JRグループダイヤ改正で、新幹線連絡速達特急が北陸本線・信越本線に設けられました。 長岡~金沢の「かがやき」、金沢~米原(~時期によっては京都まで)の「きらめき」です。485系普通車のみ4両編成で全車指定席でした。 「4両編成の北陸本線特急」「全車指定席」は当時では珍しい存在でした。 これらの本数は少なく、大阪から乗りに行こうとすれば乗る前・乗った後の時間を要するところでしたが、「きらめき」京都延長の際間合い運用で臨時「加越」が設けられ、この「加越83号」の京都発が10:43。それだ!という訳で京都→敦賀で乗りました。1988年3月19日(土)のことです。 本日載せた写真を撮ってから短編成485系へ。 定期「加越」には自由席があるのに、臨時「加越」は「きらめき」と同じく全車指定席。けれども「かがやき」「きらめき」編成は普通車でもグレードアップ改装が施され、自由席より高額となる指定席とされるのは納得出来るものでした。 けれども人手による車内販売が「かがやき」「きらめき」には無く、「加越83号」も京都発車時は同様。 しかしながら上記新設特急ではワゴンサービスが無いものの、替わりに車内にはサンドイッチの自動販売機が設置されており、臨時「加越」でも購入が可能でした。よって私は発車後走行中に自販機でサンドイッチを購入し食べていました。 供食サービスにも工夫が為されていた時代でした。 #5000件投稿チャレンジ
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2024/03/13 10:53
本日、九州新幹線開業20周年です。 鹿児島中央~新八代でJR九州初の新幹線が走り始めたのが2004年3月13日(土)で、今日で20年になりました。 私は行っていませんが、JR九州プレスリリースによると上の件に関するイベントが先週末3月9日(土)に催されていました。 さてその20年前の今日、大阪大井は鹿児島中央発の1番列車「つばめ30号」6号車自由席に座って出水へ。同駅から新八代発1番列車「つばめ101号」自由席に座って鹿児島中央へ。 このプラン実行のため、私は前夜から西鹿児島駅コンコース自由席乗車列に加わっていました。画像は開業日当日となり、鹿児島中央と名を改めた駅の午前3時のシーン。駅の東側から撮ったもので、停まっているのは「つばめ30号」に充当される800系電車です。 往時の「つばめ」には客室乗務員もおり、博多まで全通した際の九州新幹線ではどんな楽しい列車移動が出来るのかと期待感が膨らむものでした。 時を経て2024年3月13日(水)、私は20周年の模様をネットで追うのみ。現代の旅行者・鉄道趣味者に九州新幹線の旅を楽しんでもらうことにしましょう。 #5000件投稿チャレンジ
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2024/03/12
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2024/03/12 13:07
南大東~北大東 元へ還る
20年以上前のある日の南海難波駅2階JALなんばカウンター、そこで私はスタッフへと或るRAC路線のマイル数を訊きました。 この当時まだRAC路線にはマイル数が設けられておらず、よってTPM/チケッティング何とかマイルを調べてもらった次第です。 AXESSを操作するスタッフが次に発した台詞は・・・「大阪~東京って278マイル(←当時)でしたよねぇ」。「ええ、そうです」「そのマイル数が表示される所に8、と出ているんですが」「それだ!」。 南北大東島間は8マイルと判りました。 時を経て2024年1月下旬、8月からの南北大東間RAC路線の休止が発表され、これ以降tricoほかでこの休止に因む記事・投稿をしばしば目にするようになりました。 本件について私が思うのは、ああ、DHC-6時代に戻るんだなあ・・・です。 画像は1997年7月半ば~8月のJAL国内線時刻表に於けるRAC頁。 7月下旬から那覇~南大東に当時の最新鋭機DHC-8-103が投入されますが、那覇~北大東はDHC-6-300のまま。 両島を結ぶ路線はまだ無く、こちらは同年10月北大東DHC-8就航とともに開設されます。 航空雑誌で知ったのは、燃料搭載の都合でDHC-6の南大東・北大東行き定員は14名。那覇行きはフルの17名(←WCを設置するので19名にあらず)。 このキャパシティだと双方の島への単純往復しかなく、DHC-8へと大型化されて三角運航が出来るようになったのだなあと思うところです。それでもDHC-8就航当初は39席フルではなく30席台前半が定員だったと聞いた憶えがあります。 ともあれ南北大東間は今夏8月から27年前と同じようになるのですが、この27年で定着したと思われる両島間移動はどうなる?いや南北間相互移動はそれほど多くはなく、毎日ではないものの船舶で需要を吸収できる?空路那覇経由という方法もありますな。 https://trico.jal.com/instantarticle/jaltalk/199755/ #RAC
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2024/03/10
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