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大阪大井
大阪系JALファンです。
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伊丹~女満別 再開から10年
本日2024年7月26日(金)、今年の伊丹~女満別線運航が始まります。 この夏季運航路線は休止となっていた当該路線を2014年7月19日にJ-AIR運航で再開したもので、よって今年の運航で再開から、そして同路線J-AIR就航から10年となります。 大阪大井は10年前の再開初日に搭乗したのですが、これにはJALグループとしての再開御祝儀だけでなく、「J-AIR初の機内販売実施」を見ることもありました。 現在ではすっかり定着した感のあるJ-AIR機内販売ですが、その始まりが同社運航伊丹~女満別の初便という訳で、よって先週7月19日(金)で「機内販売10周年」だったのでした。 10年前の商品はラングドシャとキャンディの詰め合せセット「こぐまのいちご」で、1000円也。購入者へは似顔絵シールが貼られたメッセージカードもプレゼントされました。 そんな具合に、J-AIRでは長時間となるフライトをこれでもかというくらい楽しめました。これは今日からも同様でありましょう。 画像は再開初日に伊丹へ折り返すJA218J。 私はこれに乗って女満別空港へ来たのですが、到着口を出た所では当時のJ-AIR社長さんたちJALスタッフ・地元スタッフが伊丹からの客を迎えており、先々代J-AIR社長さんとのやり取りにも面白いものがありました。こうして記していると笑えてきます。 #J-AIR
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2024/07/23
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2024/07/23 22:53
フジドリームエアラインズ 就航15周年記念便
何らかの記念フライトで楽しい思いをした旅客は、その後の節目のフライトをも見届ける義務を負う・・・おいおい、有償旅客が当該航空会社に義務ってどういうことや?と返されましょうが、一応私のポリシーです。 本日2024年7月23日(火)、FDA/フジドリームエアラインズが就航15周年を迎えました。 15年前の初日、出発2便目となる静岡~熊本線初便にて楽しい思いが出来た私は、その後もFDA 5周年・10周年行事へ行きそして乗っておりました。よって本日もGO。 10周年は5周年の時よりも行事日程を2日に分けて盛大に。今日の15周年は10周年時よりも行事を絞り、静岡~鹿児島の往路JH133便・復路JH134便出発時に搭乗口前セレモニーを執り行うものでした。 大阪大井は静岡空港発133便行事を見て乗ったのですが、搭乗待合室にてこれから記念便に乗り込もうとするFA/フライトアテンダントさん2人が私の名を呼んで挨拶に来られました。 えええ!最近FDA搭乗頻度が減っているというのに、よう俺を憶えとったこと!同時に2人のFAさんは私の姿に期待通り!と思ってくれたかも。 ならばということで、今日のためにスマホへ入れた15年前のFDA就航初日画像をFAさんを含めたスタッフの方々へ披露。FDAメンバーから「これ、私です」と言われた時、時間の重みを感じました。 こうして思ったことは、「スタッフに充実感を抱いてもらう、そのためにも重要フライトに乗ってきた旅客機趣味人は、その後も肝心な時には現場に姿を現さねばならないのだ」。←自分にとって都合のいいようにしか解釈しとらんのかも。 かくして楽しい行事・搭乗となったのですが、FDA就航以来の15年を振り返るというのは我が国のリージョナルジェット史に直結し、J-AIRは、IBEXエアラインズ動向はどうだったかと改めて振り返る機会へと昇華しました。 #J-AIR
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2024/07/22
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2024/07/22 10:05
奄美空港で皆既日食を観察出来た15年前を思い返す
画像は自宅前から撮った金環食で、2012年5月21日のことでした。「あまり暗くならへんな~」と思ういっぽう、雲がかかっていたので日食グラス無しで見ておりました。 さてこれを見てしまうと皆既ではどうなるかで、同時に2009年7月22日に旅客機趣味界の知人たちが皆既食を見るべく奄美へ行っていたのを思い出します。 奄美空港送迎デッキが観察に適した場所とか言っていたような。 また、一部航空会社が日食時間帯に飛ぶ便をWEBで案内していました。 加えて当日前後では、奄美大島空港発着JAC・JALが通常より多くの客を乗せていたでしょう・・・そういえば天文分野をも趣味とする上司が「伊丹~奄美大島が速攻で満席!」とかいっていたような。先得枠が、ということだったかもしれませんが。 この日私は夕刻以降に大阪→静岡移動を控えており、昼間に自宅前から部分食を見ていました。そちらは過去に見ていたこともあって、前の通りやな~と思うだけ。 そういう呑気な自分より、奄美へ行った人たちはさぞかし天気が心配だったのではないでしょうか。もちろん悪天候の可能性も想定しての訪島だったでしょうが、私が当日行ける状況だったとしても「雨やったらどないすんねん」と見合わせたでしょう。 それでも行く・・・雨の時はしゃあない、そういう割り切りが出来るのだろうと思います。 さらに翌7月23日は航空業界・趣味界で一大事があって、前日中に奄美から移動した来た知人が思いっきり日焼けしていたのも印象的でした。
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2024/07/21
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2024/07/21 15:35
trico会員と一緒に飛ぶ時
表題のような事例は頻繁にあるのかどうか判りませんが、私にはあります。 3週間前のORC Q200ラストフライトとか、2ヶ月前の但馬空港開港30周年でのATR往復とか。 しかしながらこれらはイベント要素が強く、伊丹空港北ターミナル2階上島珈琲店前にtrico会員が集う時と同様だと思います。 ではその他普通の日に於いて同一便搭乗があったかと思い返すと、今年2024年1月のJL2051便にて。けれどもその前は、3年前2021年の4月にまでさかのぼります。 また、ラウンジで同席したのは最近では2023年7月・・・あ、こちらはtrico座談会から帰る時でした。 結論。特殊日以外で大阪大井がラウンジ・機内でtrico会員の方と会うのは僅少です。・・・もし私と言葉を交わす事態が生じたら、その方にはめっちゃラッキーか、あるいは不吉なことの前兆か。 こうなる要因を思い巡らせると下記の通りです。 ・ダイヤモンド・プレミア ラウンジ入室資格無し。 ・ファーストクラス、クラスJには座らない。 ・後方通路側の普通席に座る。 ・100席以上機にあまり乗らない。 ・「自分情報保護」のため、自身の旅行・予定を明らかにしない(←逆に航空会社スタッフへは伝えまくりで、来夏のことまで言っています)。 ・・・こりゃ他の会員の方が平時に俺と遭遇するのは至難やなと。 加えて面識無し・名札無しだと、実は会員の方であってもそれは判りません。 こういうのが多数あるかと思うのですが、一応大阪大井は乗り込んでから着席するまでtrico名札を着けて、JALスタッフ・会員の方へ判り易くするよう心掛けています。 tricoを知る方々には、これで機内でひと安心!か?
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2024/07/20
2024/07/19
発見レポに投稿しました
2024/07/19 20:58
画像の向い合せシート(ボックスシート)、これは東武伊勢崎・日光線ユーザーの方なら見覚えがおありかもしれません。 かくいう私も浅草~東武日光方面で安価に移動する時はこのシートに座っていました・・・東武鉄道の快速用車両のシートです。 これが何と京都市内の鉄道カフェに置かれていて、私は少々びっくり。 京都にて東武気分! 本日7月19日(金)の午後、3日前に京都市下京区にて開業した鉄道カフェ「TA-TA」に行って来ました。 開業前からXで店内の画像を見ていたのですが、実際に行ってみたら私にはかなりディープな所で、画像の東武6050系クロスシートの他にも見入るような物が数々。 そして来店する鉄道趣味者どうしの、且つマスターを交えての歓談を聴くのも楽しいものでした。 その内容たるや、私が店内に居た時間帯では鉄道グッズから保線の話まで多岐にわたり、私は現在の鉄道趣味界状況を垣間見ることが出来ました。 なお私もそこへ加わりましたが、大阪大井の鉄道趣味脳は概ね1990年代で止まっており、発した言葉の一例を挙げると「営団地下鉄」「近鉄東大阪線」・・・。
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2024/07/18
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2024/07/18 15:35
2021年7月 HACの記憶
今日はどんなことがあるか、あったか。そういうことを考えて投稿する時もあるのですが、他の会員の方も同じような内容で投稿すると想定されたら、その際は自身の当該内容の投稿を見合わせるとか後日に回すとかしています。 昨日「7月17日」でも近年印象的なことがあったのですが、JALグループにとっての重要場面でもあり、他の会員の方がそれに触れるだろう。 そう思って別件を投稿したところ、私が想定した投稿は見られず。要は予想を外したと。 2020年代に入ってHACの動きが盛んなのですが、当初私はSAAB→ATRへの置き換えが大きなことで、それが済めば平穏に戻ると思っていました。 ところが2020年内に丘珠~女満別再開、21年丘珠~奥尻開設と続き、23年にはATRの4号機投入、丘珠~秋田・中標津就航。 もう落ち着くだろうとは思っているのですが、2023年のこともあるので今後も何があるか判ったものではありません。 さて上で記した「丘珠~奥尻」開設、これが2021年7月17日(土)でした。 前年の女満別線が再開だったのに対し、当該路線はHACそしてJALグループとしては初の新規開設です。 「北海道新幹線札幌延伸後を見据えた路線展開か!」、開設を知った時に私はそう思いました。 初日初便は当初はSAABが充てられる予定でしたが、後日ATRへと変更。当日SAABは道内周遊チャーターに充てられています。 そしてこの日の朝、丘珠空港には複数のtrico会員が大阪大井を含めて集っていました。 ともあれ3年前を振り返ったのですが、この路線の5周年時に何か記せることがあればまた何か記そうと思います。 jaltalk/101464/ 130814/ 130816/ 130875/ 130986/  #HAC
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2024/07/17
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2024/07/17 16:04
帰着空港から帰宅する時
そこでの心理のことです。 自宅から楽しい旅行へ出掛ける時だと、少々空港が遠くてもそこまでの道中すら楽しく、鉄道・バスその他から降りた後の搭乗口までが遠かろうとも高揚感がある、と先般の投稿のコメントで教示されました。 私も関空から旅行へ行く時はそうです。 けれども旅行先から関空へ帰って来た際は・・・。 第1ターミナル国内線の場合、降機後は搭乗口から逆流し、出発の際に歩いてきた通路を歩きます。まずこれが辛い。 そして階下へ降り、到着口を出た後で駅へ向かうのですが、さらに歩きそして2階へ上がります。これもまた辛い。22時台だと電車の頻度が少なくなり、乗車までしばし待つことも。 私が帰る先は大阪市内で、関空からだと乗り換え1回で済みます。けれども空港からもっと遠い所に住まれる方もおられる訳で、そういった方々の心のコントロールや如何に。 私の関空帰着では上のように嘆き続けてもしゃあないので、思考変更を試そうかと思っています。 以前は関空降機後も同階のJALカウンターへ知り合いスタッフがいるかもと寄り道、それが済んだところから帰宅が始まる感じでした。 けれども今は館内配置が変わってカウンターへ寄り道することは無く、降機した時点で旅行・楽しみは終了。後は館内を延々と歩くことから帰宅開始・・・この思考が心に面倒くささを生じさせているのではないかと。 変更案は「関空駅へ達するまで旅行は続き、電車に乗るところから帰宅、心を日常へ戻す」、です。 自宅が遠いという方は、鉄道・バスから降りるまでが旅行である、そんな考えなのでしょうか。 なお伊丹帰着の場合は関空とは状況が異なり、降機後でも北ターミナル館内や阪急電車車内で知り合いJALスタッフと顔を合わせる可能性が常時在るため、帰りで疲れた~などという表情は私には出来ません。逆に梅田まで緊張感を持ち続けての帰宅となります。 阪急電車に乗ったら、目の前に知り合いJ-AIRスタッフが居たなんてこともありました。 画像は関空オープンスポットに着いたJ-AIR機。ここからバスですが、以前は手荷物受取場の近くまで行けたのに、今は現行の国内線ボーディングブリッジのあるロビー辺りまで。降車後は2階へ上がり、後は上の通りです。
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2024/07/16
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2024/07/16 02:47
本日、与那国空港ジェット機就航25周年
1999年7月16日(金)、与那国空港へJTAのジェット機が初就航。 滑走路長が1500mのままの、いわゆる「暫定ジェット化」でしたが、それでもボーイング737が就航。今日で往時からちょうど25年です。 5年前の20周年時、発見レポの report/22274 と report/22366 にジェット化のことを記しているのですが、本日改めて往時と今日のことを記します。 まずJTAへ「本日25周年、おめでとうございます」といいたいのですが、ところが定期便で与那国へ就航しているのはターボプロップ機DHC-8-400CCだけで、臨時・チャーター等を除いて一般的にいうジェット機の定期便はありません。 よって本投稿などを見てJTA機内で与那国ジェット化のことを言っても、乗員さんは微妙な表情をするかも?? そして今日の状況とつながることが、ひょっとしたら25年前既に在ったかもしれません。 ジェット化当初の与那国へ充てられた機種は、150~167席の737-400ではなく、124~130席の737-200でした。 JAL時刻表にも-400を示す「B34」ではなく-200である「B3」と載っており、25年前のジェット初便も時刻表記載通りの737-200です。 当初から何か訳あり?大阪大井が診るに、737-400を入れる程の貨客需要が無いということだったのか?あるいは-200が性能面で与那国に適していたということ? 尤も-200減少に伴って-400も入り、性能云々というのは思い過ごしでありましょう。 個人的には、このジェット化が万々歳と喜べないこともありました。 1便当たりのキャパシティ増加によって、石垣~与那国がYS-11Aの2往復から737-200の1往復へ。那覇または石垣からの用務や島内観光を目的とした日帰りが出来なくなり、私は機種変更と頻度の在り方について考えさせらえました。 なお翌2000年7月下旬にRACが週3日で与那国へ来るようになり、RAC運航日は日帰り可能へと戻っています。 等々思い返せば、現在は与那国へ行き易くなったなあと。 ん、この書き方だと737-200や737-400与那国就航を称えていないではないか?? こんなふうにいろいろ考えることがある与那国空港です。 #JTA #RAC
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