#わたしとJAL
JAL創立70周年おめでとうございます。
私のJAとのお付き合いは、JGC メンバーとなったのが1972年、来年で50周年を迎えます。
2005年からのJMB生涯搭乗記録を見てびっくり、地球約91周、月まで約4.7往復、搭乗時間は約6041.4時間に相当との記載。
この2年はコロナ禍で全く海外渡航は出来ず残念でした来年は50周年とそろそろの現役からの退役を記念し世界一周プランを画策中です。南米路線、懐かしい南回りのヨーロッパ行の路線がなくなり残念です!
思い出のフライトと言えばモスクワ オリンピック開催の前年(1979年)、中近東からロンドン発モスクワ シェレメーチエヴォ国際空港経由成田行きの ほぼ満席の年の瀬の押し迫ったフライトです。シェレメーチエヴォ国際空港のその日は大雪で窓から見る空港の景色は雪一色、主翼凍結防止の為か放水作業。ゲートを離れ滑走路に出るもエンジン出力が上がらないとのことでゲートと滑走路を往復する事4回。結局 出発を断念、思いがけないモスクワ滞在となりました。
入国ビザを持たない、搭乗者全員の入国、ホテル手配に空港スタッフは大変だったと思います。
笑ってしまう事は 遅い時間であった為ホテルでの夕食の手配も出来ず、機内から一旦トランジェットルームに出た後、再度機内に戻り機内食を食べた後にホテルへ向かった事です。ホテルの部屋割りは相部屋で一早く隣の方とペアを組むことが出来、夜中過ぎに無事Check-in, 最終組のcheck-inは朝の8時過。
搭乗していた機材(DC8)は東京からの部品取り寄せ、交換が必要とのことでモスクワからは他航空会社を含め振り替え輸送。当時モスクワからの東京行きフライトは少なかった為くじ引きで搭乗フライトの振り分けとなった。 私のくじの結果は2日後のアエロフロートのイリューシン。
搭乗までの2日間, JALは観光バスを仕立ててくれ、赤の広場、スキージャンプ台、最後はドルショップ(お土産屋さん)巡り、外気温 -15℃の寒さの中 中近東帰りの薄着で寒さに震えながらモスクワ観光を楽しんだ記憶が蘇ります。写真はその時購入したマトリューシカ人形です。
今やほとんど全てのフライトがPoint-to-Pointとなり2度と経験できないフライトではありました。フライト詳細記録が知りたいところです。