
「独眼竜政宗」ゆかりの地を巡っている中で一番印象に残っているのがこの風景です。戦に明け暮れた伊達政宗の前半生の中でも、一番の激戦といえば #人取橋 の戦い。ドラマ「独眼竜政宗」では、いかりや長介演じる老臣・鬼庭左月斎が奮戦の末討ち死にする場面で、私は何度見返しても号泣せずにいられません。この戦いで大活躍した伊達家随一の猛将・伊達成実は後に将軍徳川家光が軍談を所望したのに対して人取橋の合戦の話を披露して大いに喜ばせたといいます。
伊達家のライバル・会津の芦名氏や常陸の佐竹氏などの連合軍が攻め込んできたのを伊達軍が迎え撃ったのは阿武隈川の支流・瀬戸川に架かる人取橋周辺でした。福島県本宮市郊外にある古戦場は、今は静かな田園地帯になっています。訪ねてみると本当に小さな川が流れていて、橋がかかっているではありませんか。橋についていた銘板は「茂庭橋」。人取橋の激戦から6年後、左月斎の嫡男・綱元が、天下人豊臣秀吉に気に入られた際に「鬼が庭にいるのは縁起が悪い」と、姓を茂庭に改めさせたということですが、まさにその名がついた橋でした。
#旅写真 #穴場スポット #伊達政宗
伊達家のライバル・会津の芦名氏や常陸の佐竹氏などの連合軍が攻め込んできたのを伊達軍が迎え撃ったのは阿武隈川の支流・瀬戸川に架かる人取橋周辺でした。福島県本宮市郊外にある古戦場は、今は静かな田園地帯になっています。訪ねてみると本当に小さな川が流れていて、橋がかかっているではありませんか。橋についていた銘板は「茂庭橋」。人取橋の激戦から6年後、左月斎の嫡男・綱元が、天下人豊臣秀吉に気に入られた際に「鬼が庭にいるのは縁起が悪い」と、姓を茂庭に改めさせたということですが、まさにその名がついた橋でした。
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