東京都中野区野方の住宅地に忽然と姿を現す野方配水塔は、昭和4年に完成しました。
この2年後に完成する大谷口配水塔(板橋区)と共に、荒玉水道により多摩川の水を引き入れ、地域に配水していました。竣工時期のみならず、塔の意匠がほぼ同じなことから、どちらも中島洋吉の設計というのが定説になっているようです。
その後、昭和41年に使用が停止され、昭和47年には給水所自体が廃止となりました。ただし、大谷口配水塔のように取り壊されることはなく、塔を中心に「みずのとう公園」として整備され、塔自身も中野区の災害用給水槽として存続しています。
塔の横腹には、戦時中の空襲で受けた弾痕が残っていて、そのため中野区の平和史跡に指定され、周囲が「みずのとう公園」として、地域住民に憩いの場を提供しています。
#穴場スポット #歴史散歩
この2年後に完成する大谷口配水塔(板橋区)と共に、荒玉水道により多摩川の水を引き入れ、地域に配水していました。竣工時期のみならず、塔の意匠がほぼ同じなことから、どちらも中島洋吉の設計というのが定説になっているようです。
その後、昭和41年に使用が停止され、昭和47年には給水所自体が廃止となりました。ただし、大谷口配水塔のように取り壊されることはなく、塔を中心に「みずのとう公園」として整備され、塔自身も中野区の災害用給水槽として存続しています。
塔の横腹には、戦時中の空襲で受けた弾痕が残っていて、そのため中野区の平和史跡に指定され、周囲が「みずのとう公園」として、地域住民に憩いの場を提供しています。
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野方配水塔()