JALプラザ有楽町営業終了に寄せて
本日掲載画像は4年前にも載せたのですが、2007年1月28日にJALプラザ大阪で撮りました。
この当時JAL(JTAを含まず)市内カウンター及びJALプラザは国内6か所までその数を減らしていましたが、私がこのポスターを見た時は「この6店で続けていくのか!」と、何やら気合が入りました。ついでに内心「ここが一番活気があるように見える」とニヤリ。
けれどもこれらも減り、2010年10月31日(日)に大阪が最終営業日を迎えました。
翌日から有楽町が唯一のものとなり、私も営業時間帯に都心へ行けば同所を訪ねてパンフレットや展示物を見ていました。
それも縮小され、そして昨日が最終日。
これに私は「はい、それでおしまい」と淡々とは出来ません。同所ユーザーの喪失感は幾ばくか?
14年前の梅田営業終了時、同所一部ユーザーが抱いた喪失感は度を越えたものでした。
馴染みの店がなくなる。親しい知人三十数名が一夜にして自分の眼前からいなくなり、そして会えなくなる。
しかしながら当時はJAL再建下の時期で、現在とは状況は異なります。
今はネット予約等が一般的になり、有楽町はほぼ有人カウンターとしてその使命を終え・・・と納得できる?
否、JALメンバーと会えなくなることには相違なし。
ところが再会の機会はあちこちにあるものです。
よく言葉を交わしたJALプラザスタッフは10年以上を経ても利用者の顔を覚えている、これが私の実感で、今夏は17年ぶりに会う方から名を呼ばれました。
少し前なら、JA246J機内で再会というのもありました。
JALプラザスタッフは閉店後もJALにいる。
そう思えば、いつか来るかもしれない再会の時に備え、自らを律していけるのではないでしょうか。
大阪大井はイケメンであり続けなければならない。
JALプラザユーザーだったことが私にそういう意識を持たせ、再会の時に私を格好良く振舞わせます。今月8日(日)の亀岡でもそうでした(と思ってます)。
https://trico.jal.com/instantarticle/jaltalk/68591/
この当時JAL(JTAを含まず)市内カウンター及びJALプラザは国内6か所までその数を減らしていましたが、私がこのポスターを見た時は「この6店で続けていくのか!」と、何やら気合が入りました。ついでに内心「ここが一番活気があるように見える」とニヤリ。
けれどもこれらも減り、2010年10月31日(日)に大阪が最終営業日を迎えました。
翌日から有楽町が唯一のものとなり、私も営業時間帯に都心へ行けば同所を訪ねてパンフレットや展示物を見ていました。
それも縮小され、そして昨日が最終日。
これに私は「はい、それでおしまい」と淡々とは出来ません。同所ユーザーの喪失感は幾ばくか?
14年前の梅田営業終了時、同所一部ユーザーが抱いた喪失感は度を越えたものでした。
馴染みの店がなくなる。親しい知人三十数名が一夜にして自分の眼前からいなくなり、そして会えなくなる。
しかしながら当時はJAL再建下の時期で、現在とは状況は異なります。
今はネット予約等が一般的になり、有楽町はほぼ有人カウンターとしてその使命を終え・・・と納得できる?
否、JALメンバーと会えなくなることには相違なし。
ところが再会の機会はあちこちにあるものです。
よく言葉を交わしたJALプラザスタッフは10年以上を経ても利用者の顔を覚えている、これが私の実感で、今夏は17年ぶりに会う方から名を呼ばれました。
少し前なら、JA246J機内で再会というのもありました。
JALプラザスタッフは閉店後もJALにいる。
そう思えば、いつか来るかもしれない再会の時に備え、自らを律していけるのではないでしょうか。
大阪大井はイケメンであり続けなければならない。
JALプラザユーザーだったことが私にそういう意識を持たせ、再会の時に私を格好良く振舞わせます。今月8日(日)の亀岡でもそうでした(と思ってます)。
https://trico.jal.com/instantarticle/jaltalk/68591/