平戸港に突き出た三方を海に囲まれた標高約53mの亀岡山に、1704年(宝1)平戸藩5代藩主松浦棟が山鹿流の築城術を用いて築城に着手し1718年(享保3)完成された平山城。この地は、かつて初代松浦鎮信(法印)が1599年(慶長4)に日之嶽城を築きましたが、、幕府よりの改易を恐れ、1613年(慶長4)自ら城を焼き捨てた経緯のある地です。山頂から海岸線に接する麓まで亀山全体を城域とし、各郭は地形に合わせた不整形な形状で、至る所に山鹿流軍学の複雑な折れを構成しています。天守はなく、二の丸乾三重櫓を天守代用とした。明治になり狸櫓と北虎口門(搦手門)を残し城の建物は解体された。1962年(昭和37)本丸沖見櫓跡に三重五階の模擬天守を建て、さらに見奏櫓・乾櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓が復興された。この時は天守閣が改築中で見学できませんでした。
平戸城(長崎県平戸市)