搭乗日
2004年02月
成田空港発着J-AIRの思い出
2007年4月、伊丹から成田へ乗ってきた後、伊丹へ帰るCRJを撮影。
これが今も飛んでいたら、大阪大井の関東方面遠征はもっと増えているかも。と、6月17日という日付から思いました。
これは便名に因むもので、「XM617」便から。
同便区間は成田→名古屋、運航を担うのはJ-AIR、機種は50人乗りCRJ200。
成田発が16時台ということもあり、私は帰阪時に用いていました。船橋から京成に乗り、名古屋に着いた後は近鉄で大阪へ。「J-AIRで東京から帰る」をとにかく遂行です。
逆区間はXM616便でしたが、名古屋発着のこれらはJALとのコードシェア便で、JAL便名は「JL156」「JL157」でした。
2002年4月から2005年2月までのこのコードシェアの経緯説明は・・・私からは長くなるので航空局へ振ります。
2年2ヶ月後、J-AIR成田発着が復活、こんどは伊丹~成田です。こちらへは「JALビジネスきっぷ」が後押ししてくれて、私は嬉々となってCRJに乗っていました。
2007年4月~2009年1月でしたが、この間でのJALグループ利用関東遠征には当該JL3006・3005便に乗ることが多かったです。
CRJの80分未満フライトゆえ機内サービスはキャンディのみ。これがサッと終わることと、多くても乗客は50人しかいないことから、客室に響くのは空調音かエンジン音のみ。
落ち着いた雰囲気で、時々CAさんと小牧状況は云々と言葉を交わすこともありました。
いっぽう閉口することもあり、それは成田発での持ち込み荷物。様々な事情で大型荷物をCRJ機内へ持って来たのでしょうが、いっぽう単なる関東遠征で荷物が小さく且つ少ない私はさっさとストウェッジへ入れ、通路側席にしれっと座っていました。
上のことからJ-AIRにE170が来たら伊丹~成田へも入ると思いましたが、E170就航と同時にJ-AIR伊丹~成田はなくなり、そして現在へと至ります。
復活したら私は乗り、そして千葉県での乗り鉄に興じるでしょう。けれども、限りある人材・機材・伊丹発着枠のことを思えば、私から要望を出しません。
#J-AIR
これは便名に因むもので、「XM617」便から。
同便区間は成田→名古屋、運航を担うのはJ-AIR、機種は50人乗りCRJ200。
成田発が16時台ということもあり、私は帰阪時に用いていました。船橋から京成に乗り、名古屋に着いた後は近鉄で大阪へ。「J-AIRで東京から帰る」をとにかく遂行です。
逆区間はXM616便でしたが、名古屋発着のこれらはJALとのコードシェア便で、JAL便名は「JL156」「JL157」でした。
2002年4月から2005年2月までのこのコードシェアの経緯説明は・・・私からは長くなるので航空局へ振ります。
2年2ヶ月後、J-AIR成田発着が復活、こんどは伊丹~成田です。こちらへは「JALビジネスきっぷ」が後押ししてくれて、私は嬉々となってCRJに乗っていました。
2007年4月~2009年1月でしたが、この間でのJALグループ利用関東遠征には当該JL3006・3005便に乗ることが多かったです。
CRJの80分未満フライトゆえ機内サービスはキャンディのみ。これがサッと終わることと、多くても乗客は50人しかいないことから、客室に響くのは空調音かエンジン音のみ。
落ち着いた雰囲気で、時々CAさんと小牧状況は云々と言葉を交わすこともありました。
いっぽう閉口することもあり、それは成田発での持ち込み荷物。様々な事情で大型荷物をCRJ機内へ持って来たのでしょうが、いっぽう単なる関東遠征で荷物が小さく且つ少ない私はさっさとストウェッジへ入れ、通路側席にしれっと座っていました。
上のことからJ-AIRにE170が来たら伊丹~成田へも入ると思いましたが、E170就航と同時にJ-AIR伊丹~成田はなくなり、そして現在へと至ります。
復活したら私は乗り、そして千葉県での乗り鉄に興じるでしょう。けれども、限りある人材・機材・伊丹発着枠のことを思えば、私から要望を出しません。
#J-AIR