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#サンチャゴ要塞
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2021/11/18 20:12
スペイン王国の最盛期を築いた「書類王」フェリペ2世の銅像。 #サンチャゴ要塞 から歩いて数分、みんな大好きファーストフード・ジョリビー #イントラムロス 店の向かいにあります。 【マニラ紀行⑦-A】 これは #フィリピン のナショナリストにとってみれば、忌まわしい過去の遺物でもあるかもしれません。何しろ300年以上にわたる過酷な植民地収奪をもたらした張本人なのですから。 ところが近寄って見てみると、多少の痛みはありますが、文化遺産として大切にされているようです。歴史の1ページを物語る遺産として、こういうものは残しておくべきだと個人的には思います。 昨年、米国でコロナ禍の混乱を背景に、ジョージ・ワシントンやロバート・リーなど、米国史を代表する偉人たちの銅像が襲撃されたり、行政当局によって撤去されたりという事例が相次ぎました。名門プリンストン大学でも、国際関係の大学院からウッドロウ・ウィルソンの名前を外す決定がなされました。 様々な考えがあるでしょうし、最終的には現地の人々が決めるべき問題です。ただし、歴史の生き証人として、そういう記念碑的なものや過去にちなんだ地名などは、改めずに残しておくほうがよいと思うのです。なぜなら、そこから話題が生まれ、過去の歩みを振り返り、よりよい世の中のために何ができるか考える契機となるはずだからです。 そういう意味で、東南アジア諸国で植民地時代の建物やモニュメントが温存され、それが観光資源として活用されてもいる様子を目にするたびに「これはこれであるべき姿だな」と思います。もちろん植民地支配など言語道断ですが、その苦しかった時代の歩みも含めてこそ「国民の歴史」が成立するのです。今の独立と繁栄は、かつての苦難の上に築かれたもので、一概に否定しなくてもよいはず。 宗主国と独立国が、対等な友として助け合い、お互いに文化的影響を与え合う関係が築かれるのが双方にとって最も幸せなこと。様々な難しい事情はあるでしょうが、フィリピン・ベトナム・インドネシア・マレーシア・台湾あたりは、そういう側面で何とか折り合いが付いているように思えます。 #マニラ の街角には、今もスペイン情緒やアメリカ情緒が漂い、独特の雰囲気があって実に楽しいです。現地の方々も、それを誇りに思っていることでしょう。 #旅写真 #文化の秋 #歴史探訪
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2021/11/18 19:12
#サンチャゴ要塞 に別れを告げる前に立ち寄った、スペイン植民地時代の武器庫「アルマセネス・リアレス」です。 【マニラ紀行⑤-H】 案内板によれば、建設されたのは1591年。日本でいう戦国時代の終わりですね。驚くべき年月を耐え抜いた建物で、入ってみると頑丈に作られていることが分かります。緩いアーチ型の骨組みが印象的。 最初は交易品をストックしておく倉庫として使われていたようですが、途中で軍事施設に転換されました。1863年からは兵士の宿舎としても利用されていたとのこと。 しかし、大東亜戦争中に日本の占領下に置かれた際、日本軍の施設に転用。昭和20年2月の悪名高いマニラ市街戦で米軍の砲撃を受け、壊滅的打撃を被りました。 見ていただければ分かるように、砲弾が直撃して天井は完全に吹っ飛ばされています。倒壊を防ぐため補強工事が施され、きれいに清掃もされていますが、生々しい破壊の跡は覆うべくもなく剥き出しになっています。 これが恐るべき市街戦の爪痕です。 日米両軍の兵士が、そして罪なき #マニラ の市民が、狂乱の渦中で死んでいきました。 平和を望むなら、そして🇯🇵🇵🇭🇺🇸3国の末永い友好を願うなら、この事件を忘れてはならないと思います。避けがたい戦争であったとはいえ、こういう破滅的事態を引き起こさない選択肢は確実にありました。オープンシティにする(無防備都市宣言を出す)という山下大将の意向が貫かれていれば、10万人もの市民と、1万を超える日本の将兵は、あれほど惨い形で命を落とさずに済んだかもしれません。 要塞から程近いエルミタの街は、大学や官庁が立ち並ぶエリートの居住区でした。すべてが灰燼と化した後、知識人や富裕層は忌まわしい記憶から逃れるため、続々と立ち去っていきました。 彼らがいなくなった跡地には、東洋を代表する怪しげな歓楽街が広がる結果となりました。 #エルミタ と聞いて、よい印象を持つ人は少ないでしょう。近年は百貨店ができ、整ってきてはいますが、夜に歩けば「お前は日本人か…?」と、その筋の人たちから声を掛けられます。私が物取りに遭ったのもエルミタです。 こうなった原因が先の戦争にあることは明々白々です。それを知らずしてエルミタで遊ぶということは、当事国の一員として許され得ないと思います。 #旅写真 #文化の秋 #歴史探訪
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2021/11/17 20:21
1枚目は英雄 #ホセ・リサール 本人が残したスケッチです。 やっぱりササっと描いているのに上手いですね。 人物の姿に交じって、日本に関する素描もあります。恥ずかしそうに着物で顔を隠すユーモラスな芸者さんの姿や、上を向いた鶴の姿、そして漢字で「大日本國」などと筆書きもされています。日本への関心の高さが窺えます。 ジョージ・ワシントンらしき人物の顔も見えます。 2枚目が先の記事で紹介した「髑髏に抱かれる裸婦」の像。本来の名は「Triumph of Death over Life」というもので、かなり強烈な印象を残す作品。 レプリカではありますが、独特な味わいをしっかり表現しています。影の問題やアクリルケースの映り込みがあり、うまく写真が撮れなかったんですが、これは実物を観たほうがいいですね。私はその感性の豊かさにドキっとしました。 3枚目もレプリカだそうですが、髑髏の上に立ちトーチを掲げる裸婦の姿。先程の作品とテーマ的に対を成す作品ですね。 こちらは艶やかな仕上げで、裸体の曲線の美しさが際立ち、気品に溢れています。やけにリアルな髑髏との対比が印象的。死の恐怖に勝利した生命の息吹が、頭上のトーチに向かって吹き抜けているかのようです。 これほど自由に感性を働かせて視覚芸術に携わっていたとは知らず、大変意外でした。真の知識人・文化人だと思います。 #ホセ・リサール記念博物館 は #フィリピン の歴史を語るうえで絶対に欠かせない場所です。所在地の #サンチャゴ要塞 敷地内に点在する各種遺構とともに、見どころが満載です。 #マニラ の #イントラムロス を訪れたら、是非お立ち寄りください。様々な意味で、日比の歴史的な繋がりを体感できるでしょう。 #旅写真 #文化の秋 #歴史探訪
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2021/11/17 18:12
いよいよ最大の見どころ。ここで英雄 #ホセ・リサール の生涯について学ぶのが1度目の旅行の目的でした。 それほど大きい施設ではありませんが、素晴らしい歴史遺産です。 【マニラ紀行⑥】 #フィリピン の人々にとって心の拠り所ともいえる #ホセ・リサール記念博物館 は #サンチャゴ要塞 敷地内の一角にあります。先の大戦で破壊された建物の一部を残しつつ、それに隣接する形で設けられています。 要塞とは別に入館料が必要です。 リサール氏の生誕から、神童ぶりを発揮した幼年時代、世界各地で留学を重ね一流の知識人になる過程、そしてフィリピン独立運動に作家として参与し、最後はスペイン官憲の追及を受け処刑されるまでの歩みが、貴重な遺品とともに丁寧に解説・展示されています。 タガログ語だけでなく英語での説明も完備。理解に困ることはありません。 日付どころか時間単位で編纂された克明な年表は、目を通しているだけで緊迫感があり、彼の辿った激動の生涯をひしひしと感じられます。「これは本物の英雄だ」と一目で確信するに足る、超絶的なエリートです。本職は腕利きの眼科医。お母さんの目を治したいという一途な想いで医学に飛び込んだというのだから、本当に驚きます。 ちなみに20ヵ国語くらいマスターしたともいわれ、作家としてはもちろん画家・彫刻家としての才能もあったようです。まさに天才😳 館内には、彼が愛用した衣類や小物のほか、当時の様子を活写する絵画、スペイン官憲による裁判の様子を再現した部屋などもありました。特に、独房でお母さんに辞世の手紙を書く様子を再現した展示は臨場感があり、目頭が熱くなります。 また、彼が日本に滞在した際に懇意となった「臼井勢似子さん」の肖像画も飾られていました。美しい和服姿です。どうも本気で恋に落ちたようです。その熱情は日記に書き残されています。 彼が生前に残した彫刻作品もありました。不気味な髑髏の死神に抱かれた艶めかしい裸婦像です。これを鑑賞して私は本当にドキッとしました。鋭い感性が胸に突き刺さってくるようでした。 リサール氏の人生を語り尽くす濃密な展示に心奪われ、あっという間に2時間以上も経過。退出する頃には、すっかりリサール氏の虜です。 ここに行かずに #マニラ を立ち去るのは勿体なさすぎます。 #文化の秋 #旅写真 #歴史探訪
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2021/11/17 16:54
#サンチャゴ要塞 の北側外郭が、ちょっとした遊歩道になっていることは以前ご紹介した通りです。スペイン植民地時代を偲ばせるための工夫がされています。 【マニラ紀行⑤-G】 あちこちにスペイン兵をかたどった洒落た銅像が置かれています。ちょっとカッコつけたポーズがユーモラスで印象的。 当時は自分の姿を写すのを避けようと思う気持ちが強く、一緒に記念撮影してこなかったのが心残り。コロナ禍が収まったら、また訪れて一緒に記念撮影してきたいと思います。 このあたりは本当によく整備されており、ゆったりと歴史情緒に浸りながら散歩を楽しめる場所。東京から日航機で3時間半の場所に、これほどスペイン風情あふれる素敵な場所があることを、ぜひ皆さんに知っていただきたいです。 さて #フィリピン は自由世界を代表する国の一つで、かけがえのない日本の友好国です。多くの方々が日本に働きに来ていますし、貿易も盛んです。ODAによる強固な繋がりがあることは前の記事でも紹介しました。 先の大戦の際、フィリピンは日米双方の激突により筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられました。特に「東洋の真珠」と謳われた #マニラ が壊滅した市街戦では、10万人以上の民間人を巻き添えにし、数百年の伝統を誇る文化遺産をメチャメチャに破壊し尽くしました。ここには書けないような恐るべき事象もあり、その真偽は歴史学的に確定しています。米軍が直ちに目撃者・被害者(証言力のある知識人が多かった)の聞き取り調査を行っているからです。 この話を御存知の方は少ないと思います。日本では知られていないに等しく、ほとんど「無視」されています。学校教育でも触れないでしょう。沖縄戦に匹敵する被害を出したのに、話題に上ることもない現状は御都合主義で、ゾッとするしかないです。 きっと、上皇陛下が公式訪問の際、はっきり固有名詞を出してマニラ市街戦に言及されたのは「これではいけない」という想いがおありになったからだと信じます。 日比関係は、一筋縄ではいかない難しい問題を孕んでいるのです。 起こってしまったことは、謝っても帳消しにはなりません。けれども、当事者の片方であった日本人が戦跡を訪れ「かつての記憶に思いを馳せる」ことは、両国の関係において本当に大切なことだと私は確信しています。 #旅写真 #文化の秋 #歴史探訪
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2021/11/06 10:34
何やら人の出入りが激しいので、おもしろそうだな…と思ってフラっと入ってみた遺構の一つ。 中には子供たちが喜びそうな展示品が並んでいました。 【マニラ紀行⑤-F】 #サンチャゴ要塞 の北のはずれにある「リサリアナ・ファニチュア・ホール」です。 もとは「サンタバーバラ城郭」という史跡であり、保存状態がよいことから展示スペースとして活用されているようです。 中に足を踏み入れると、思わず「寒っ」と言ってしまいそうなほどガンガンに効いた冷房😅 東南アジアの都市では、よくある話ですね。 外の熱帯気候との落差にビックリ。でも、その日は熱射病気味になるくらい暑かったので、むしろ心地よいくらいでした。他にも外を散策していたカップルや家族連れなどが涼みに来ていました。 中は幅の広い石造りのトンネルような感じになっていて、とてもキレイです。恐らくスペイン軍の弾薬庫として使われていたのでしょう。 一定の間隔で陳列されているものを見てみると、なんと #レゴブロック で再現された #マニラ の歴史的ランドマークの数々でした。どうやら街の人たちがボランティアで寄贈してくれたもののようです。 マニラ大聖堂を筆頭に、マッカーサー元帥が駐在したことで知られるマニラ・ホテルや、主要なカトリック教会、メトロポリタン・シアター、そして街を走り回る名物ジプニーバスなどを、様々な大きさで表現しています。かわいらしいですね。 #マニラ・ホテル が一番よくできていて立派だったかな…実物とそっくりな色に仕上げてありました。本物はマニラで最も伝統と格式のある一流ホテル。私には敷居が高く感じられ、宿泊はせず外だけ見学に訪れました。さすがに大戦前からあるので古いですが、時の重みを感じる重厚な建物でした。 それはともかく、かなりの数の展示があり、楽しかったです。 こういうものを見るのが大好きなもので、一つ一つ眺めながらウキウキ気分でした。 #文化の秋 #旅写真 #歴史探訪 #LEGO
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2021/11/05 21:46
相変わらずで申し訳ありませんが、頑固者なので、時間を見つけて書き続けます。 【マニラ紀行⑤-E】 #サンチャゴ要塞 の北側外郭は、パシッグ川に面した美しい散策路として整備されています。城壁に沿ってヤシの木やブーゲンビリアが植えられ、さながら植物園のような雰囲気です。 ところが、くるりと川に向き直れば、岸辺の向こうは雑然とした建設現場にガラクタ置き場。 これぞ発展途上国の醍醐味だと私は思うのです。 人間社会、美しいところばかりではありません。それは日本でもそうです。 うちの国はまだマシなほうかもしれませんが、六本木ヒルズや新橋や有楽町のような場所もあれば、半ばスラム化した街角もある。社会は人間が作り上げているものですから、全部キレイなんてことは絶対にありません。醜い場所や目をつぶりたくなるような局面が必ずある。それらをひっくるめて「国家」です。 東南アジア諸国は貧富差が日本とは比較にならない水準であり、様々なものがゴッタ煮の状態で存在します。美しい高層ビルにホテルやカフェ、強烈な大気汚染、怪しい夜遊びの店、雑然としたマーケット、物乞いの人々…こういうものが混沌と同居している。 その有り様は、濃密な人間社会の縮図です。 私にとって「旅行」とは、美しくないものから目を背けるためでもないし、日頃の喧騒を忘れて逃げ出すためでもない。 もちろん贅沢三昧をするためでもありません。 普段とは違う世界に少しでも触れて、美醜にかかわらず現地の雰囲気に親しみ、同じ空気を吸い、できる限り同じものを食べ、たとえ僅かでも文化の深いところに迫りたい。だから、可能な範囲で下町にも入っていきます。 確かに怖い思いをしたことも何度かありましたが、自分の足だけを頼りに歩き通す経験から、守備されたツアーでは味わえないようなことを学べたように思います。 本格的なバックパッカーには敵いませんが、一人で歩き通すことへの執着心は負けないつもりでいます。 バンコクの雑踏の中で食べたパッタイ、クアラルンプールの下町で食べたカレー、マニラのファーストフードで食べたチキン…みんな忘れられない思い出です。 今にも日航機で出かけたい。 やっぱり東南アジアはやめられません。 南回り欧州線があった時代なら、病みつきで乗ったでしょうね。 #旅写真 #自然 #文化の秋
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2021/11/03 20:04
#文化の秋 のテーマにちなんで #マニラ の歴史にまつわる話を断続的に紹介しています。美しいものばかりではないですが、あくまで歴史的に見て「日本で紹介すべき」と思うことを載せていきます。 歴史や海外事情に関心のある方、ご覧いただければ幸いです。 【マニラ紀行⑤-C】 #イントラムロス の #サンチャゴ要塞 公園敷地内にある各種の戦争遺跡より。 1~2枚目は「サンフランシスコ城郭跡」です。保存状態が良好で、とても綺麗に整備され、昼間から内部がライトアップされています。これは昔、要塞の裏口として機能していた通用門らしく、かつてトンネルの先は別の要塞そして海に通じていました。 先の大戦中は、日本軍が弾薬庫などとして活用していたようです。 3~5枚目は米国植民地時代に建てられた米軍のバラック。 大東亜戦争中は日本軍の指令所が置かれており、昭和20年2~3月のマニラ市街戦では文字通り激戦地となりました。米軍による凄まじい砲撃のせいで痛みが激しいため、現在は保存のため太い鉄骨が添えられ、なんとか倒壊を防いでいます。 ご覧のとおり、鉄筋コンクリート製の堅固さは見る影もなく打ち砕かれています。 壁に開いている穴は、もちろん飛んできた砲弾が当たった跡。 当時の戦闘状況がどうだったか、想像するだけで身震いしてしまうような遺跡です。 #旅写真 #歴史探訪 #史跡 #戦跡
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