発見レポ
2021/11/18 19:12
#サンチャゴ要塞 に別れを告げる前に立ち寄った、スペイン植民地時代の武器庫「アルマセネス・リアレス」です。

【マニラ紀行⑤-H】
案内板によれば、建設されたのは1591年。日本でいう戦国時代の終わりですね。驚くべき年月を耐え抜いた建物で、入ってみると頑丈に作られていることが分かります。緩いアーチ型の骨組みが印象的。
最初は交易品をストックしておく倉庫として使われていたようですが、途中で軍事施設に転換されました。1863年からは兵士の宿舎としても利用されていたとのこと。

しかし、大東亜戦争中に日本の占領下に置かれた際、日本軍の施設に転用。昭和20年2月の悪名高いマニラ市街戦で米軍の砲撃を受け、壊滅的打撃を被りました。
見ていただければ分かるように、砲弾が直撃して天井は完全に吹っ飛ばされています。倒壊を防ぐため補強工事が施され、きれいに清掃もされていますが、生々しい破壊の跡は覆うべくもなく剥き出しになっています。
これが恐るべき市街戦の爪痕です。

日米両軍の兵士が、そして罪なき #マニラ の市民が、狂乱の渦中で死んでいきました。
平和を望むなら、そして🇯🇵🇵🇭🇺🇸3国の末永い友好を願うなら、この事件を忘れてはならないと思います。避けがたい戦争であったとはいえ、こういう破滅的事態を引き起こさない選択肢は確実にありました。オープンシティにする(無防備都市宣言を出す)という山下大将の意向が貫かれていれば、10万人もの市民と、1万を超える日本の将兵は、あれほど惨い形で命を落とさずに済んだかもしれません。

要塞から程近いエルミタの街は、大学や官庁が立ち並ぶエリートの居住区でした。すべてが灰燼と化した後、知識人や富裕層は忌まわしい記憶から逃れるため、続々と立ち去っていきました。
彼らがいなくなった跡地には、東洋を代表する怪しげな歓楽街が広がる結果となりました。

#エルミタ と聞いて、よい印象を持つ人は少ないでしょう。近年は百貨店ができ、整ってきてはいますが、夜に歩けば「お前は日本人か…?」と、その筋の人たちから声を掛けられます。私が物取りに遭ったのもエルミタです。
こうなった原因が先の戦争にあることは明々白々です。それを知らずしてエルミタで遊ぶということは、当事国の一員として許され得ないと思います。

#旅写真 #文化の秋 #歴史探訪
サンチャゴ要塞(フィリピン)
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