阪急とパンナムがJALのライバルを作ろうとしていた・・?
東京・日比谷で開催されている
阪急や宝塚歌劇、東宝グループを作った
小林一三氏の生誕150周年記念展示会に行ってきました。
その中に興味深い展示が。
1950年代前半、パンナムの営業代理店をしていた
阪急が、日米航空なる航空会社の設立を目指していました。
パンナムの機材を使用し日本の国内線を運航する・・という
目論見でしたが、その直後に外国籍機材の国内線運航禁止の
法律が出来て、この話は無くなってしまいました。
歴史のたらればを考えると面白いものですが、
「じゃあJAナンバー付ければいいんでしょ!」って言って
パンナム塗装でJAナンバーを付けた飛行機が
JALのライバルだった・・なんて事になっていたかも
知れませんね。
阪急や宝塚歌劇、東宝グループを作った
小林一三氏の生誕150周年記念展示会に行ってきました。
その中に興味深い展示が。
1950年代前半、パンナムの営業代理店をしていた
阪急が、日米航空なる航空会社の設立を目指していました。
パンナムの機材を使用し日本の国内線を運航する・・という
目論見でしたが、その直後に外国籍機材の国内線運航禁止の
法律が出来て、この話は無くなってしまいました。
歴史のたらればを考えると面白いものですが、
「じゃあJAナンバー付ければいいんでしょ!」って言って
パンナム塗装でJAナンバーを付けた飛行機が
JALのライバルだった・・なんて事になっていたかも
知れませんね。