この威厳あるイケメンの紳士はどなたでしょう…?🤔
【マニラ紀行⑤-A】
上皇陛下が天皇でいらしたとき #フィリピン を公式訪問されていますが、その際の晩餐会ご挨拶で、彼のことに直接言及なさるくらいの歴史的人物。
この国を代表する国家的英雄 #ホセ・リサール の立派な銅像です。まさしく独立の象徴であり、フィリピンを語るうえで決して欠かすことのできない存在です。
彼は中国系移民・フィリピン人・スペイン人の混血(いわゆるチノイ)だと言われています。幼少期から優れた才能を発揮し、小学生くらいの年頃でスペイン語とタガログ語をマスターし、16歳で大学に入り農業を学びます。
お母さんが失明の危機に直面すると、なんとか助けたいとの思いで医学の道に移り、この時に医師としての資格を身につけます。したがって、彼の本職は優れた眼科医です。
この頃になると「天才」の呼び声も高く、マドリッド留学の機会をつかみ、20代半ばで約20の言語をマスターして😲哲学博士号を手にします。その後ドイツに移り、ベルリン大学などで学業を続けました。あまりに優秀なためドイツ国籍取得を勧められますが、彼はこれを断っています。
超絶的にすごい人ですね。
彼は文学にも造詣が深く、フィリピンを代表する作家でもあります。詩や小説を多く残し、その中で故郷に対する愛を訴えていくのです。
フィリピン独立への道を志した彼は、スペイン植民地支配を脱却すべく「ペンで戦おうとした」のですね。
彼は留学途中で日本にも立ち寄っています。その際「臼井勢似子さん」という女性と親しくなり、滞在予定が大幅に伸びて2ヵ月にも及んだといいます。恋仲だったんでしょう🥰
この女性の存在は、彼が亡くなった後の遺品整理中に写真が出てきて判明したそうです。その写真の裏面には、次のように書かれていました。
「…私の青春の思い出の最後の一章をあなたに捧げます。どんな女性も、あなたのように私を愛してはくれなかった…さようなら」
彼はその優秀さゆえにスペイン官憲から過剰に警戒され、フィリピン本土で独立運動が高揚する中、特に身に覚えがないにもかかわらず革命を煽ったとして逮捕。軍法会議にかけられ、銃殺に処せられてしまいます。
この銅像のある #マニラ のサンチャゴ要塞は、彼が囚われていた場所です。
#歴史探訪 #旅写真
【マニラ紀行⑤-A】
上皇陛下が天皇でいらしたとき #フィリピン を公式訪問されていますが、その際の晩餐会ご挨拶で、彼のことに直接言及なさるくらいの歴史的人物。
この国を代表する国家的英雄 #ホセ・リサール の立派な銅像です。まさしく独立の象徴であり、フィリピンを語るうえで決して欠かすことのできない存在です。
彼は中国系移民・フィリピン人・スペイン人の混血(いわゆるチノイ)だと言われています。幼少期から優れた才能を発揮し、小学生くらいの年頃でスペイン語とタガログ語をマスターし、16歳で大学に入り農業を学びます。
お母さんが失明の危機に直面すると、なんとか助けたいとの思いで医学の道に移り、この時に医師としての資格を身につけます。したがって、彼の本職は優れた眼科医です。
この頃になると「天才」の呼び声も高く、マドリッド留学の機会をつかみ、20代半ばで約20の言語をマスターして😲哲学博士号を手にします。その後ドイツに移り、ベルリン大学などで学業を続けました。あまりに優秀なためドイツ国籍取得を勧められますが、彼はこれを断っています。
超絶的にすごい人ですね。
彼は文学にも造詣が深く、フィリピンを代表する作家でもあります。詩や小説を多く残し、その中で故郷に対する愛を訴えていくのです。
フィリピン独立への道を志した彼は、スペイン植民地支配を脱却すべく「ペンで戦おうとした」のですね。
彼は留学途中で日本にも立ち寄っています。その際「臼井勢似子さん」という女性と親しくなり、滞在予定が大幅に伸びて2ヵ月にも及んだといいます。恋仲だったんでしょう🥰
この女性の存在は、彼が亡くなった後の遺品整理中に写真が出てきて判明したそうです。その写真の裏面には、次のように書かれていました。
「…私の青春の思い出の最後の一章をあなたに捧げます。どんな女性も、あなたのように私を愛してはくれなかった…さようなら」
彼はその優秀さゆえにスペイン官憲から過剰に警戒され、フィリピン本土で独立運動が高揚する中、特に身に覚えがないにもかかわらず革命を煽ったとして逮捕。軍法会議にかけられ、銃殺に処せられてしまいます。
この銅像のある #マニラ のサンチャゴ要塞は、彼が囚われていた場所です。
#歴史探訪 #旅写真
サンチャゴ要塞(フィリピン)