「島原大変肥後迷惑」。
師走の肥後天草を旅して、この言葉を知りました。表しているのは今から230年ほど前に起きた日本最大の火山災害です。
1792年5月21日午後8時。群発地震と普賢岳の噴火の後、眉山(まゆやま)が大規模な山体崩壊を起こします。大量の土砂が有明海に崩れ込み、発生した津波は有明海を横断して肥後天草を襲いました。その高さは22メートルを超え、返し波が再び島原を襲います。犠牲者は島原肥後を合わせて15,000人以上。供養塔や津波の高さを示す石碑が、有明海沿岸に現存し災害の記憶を今日に伝えています。
穏やかな遠浅の海に浮かぶ島原半島ですが、津波はわずか20分で天草に到達しています。火山と共に生きる日本列島。災害遺構の伝承は今に通じる教訓と痛切に思いました。
#旅が教えてくれたこと #旅写真
師走の肥後天草を旅して、この言葉を知りました。表しているのは今から230年ほど前に起きた日本最大の火山災害です。
1792年5月21日午後8時。群発地震と普賢岳の噴火の後、眉山(まゆやま)が大規模な山体崩壊を起こします。大量の土砂が有明海に崩れ込み、発生した津波は有明海を横断して肥後天草を襲いました。その高さは22メートルを超え、返し波が再び島原を襲います。犠牲者は島原肥後を合わせて15,000人以上。供養塔や津波の高さを示す石碑が、有明海沿岸に現存し災害の記憶を今日に伝えています。
穏やかな遠浅の海に浮かぶ島原半島ですが、津波はわずか20分で天草に到達しています。火山と共に生きる日本列島。災害遺構の伝承は今に通じる教訓と痛切に思いました。
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