搭乗日
2021年10月
クルーがくれた「70周年の宝物」
#70周年 記念ステッカーが秘かに話題になっていますが、それに関連した話。これまでのJALフライトで一番感動した思い出です。
鹿児島から羽田に戻る1レグ目のフライト。例のステッカーが欲しくて、搭乗後に近くのKさんに聞いてみました。やはり珍しいようで御存知ない様子でしたが、Kさんは丁寧に「責任者に確認してみますね」と対応してくれました。
離陸後しばらくして、今度はAさんという方が私の席に来てくれて「あいにく備え付けがなく申し訳ありません。ただいま、ステッカーがどういうものかも含め、地上に確認を取っているところですので、もう少しお待ちくださいね」と、わざわざオペセンにも問い合わせてくれたようです。
その際「どこでそのステッカーを?」と訊かれたので、それがきっかけで「trico」の話になりました。なんとAさんは鹿児島県のJALふるさと応援隊を担当しているそうです。きっと今後、彼女の記事が出るのでしょう。楽しみです。
その後、降下が始まるくらいのタイミングで、最初に話したKさんが座席に来てくれました。そして「ささやかなものですが記念にお持ちください」と、赤いおしゃれな包装袋に入った手土産を渡してくれたのです。何度かクルーの方に心遣いを頂いたことはありますが、こういう装丁のものは初めてでした。その場で開けるのもどうかと思い、自宅に戻ってから中を拝見したのですが、開けて本当にビックリ😳
日航の絵葉書に「JAPAN AIRLINES 70 YEARS!」と大きく手書きでタイトルされたメッセージでした。そこには「○○様をはじめ、沢山のお客様に愛情いっぱいに育てていただいたJAL…」と書かれていました。さらに、金・銀の星型シールをあしらい、胴体上部に手書きで「JAL 70YEARS!! 1951-2021」と書かれたボーイング777のミニチュアが添えられていました。
つまりKさんはステッカーの代わりに、手間を割いて自作で70周年の記念品を作ってくれたのです。これ以上の心遣いがあるでしょうか?
私にとって、一生涯の大切な宝物です🎁
降機の際には、Aさんが「ステッカーの件すみません」と、代わりにA350のタグを手土産に見送ってくれました。最後まで温かい気遣い。
この素晴らしいフライトを、私は永遠に忘れることはないでしょう。
#わたしとJAL #旅写真
鹿児島から羽田に戻る1レグ目のフライト。例のステッカーが欲しくて、搭乗後に近くのKさんに聞いてみました。やはり珍しいようで御存知ない様子でしたが、Kさんは丁寧に「責任者に確認してみますね」と対応してくれました。
離陸後しばらくして、今度はAさんという方が私の席に来てくれて「あいにく備え付けがなく申し訳ありません。ただいま、ステッカーがどういうものかも含め、地上に確認を取っているところですので、もう少しお待ちくださいね」と、わざわざオペセンにも問い合わせてくれたようです。
その際「どこでそのステッカーを?」と訊かれたので、それがきっかけで「trico」の話になりました。なんとAさんは鹿児島県のJALふるさと応援隊を担当しているそうです。きっと今後、彼女の記事が出るのでしょう。楽しみです。
その後、降下が始まるくらいのタイミングで、最初に話したKさんが座席に来てくれました。そして「ささやかなものですが記念にお持ちください」と、赤いおしゃれな包装袋に入った手土産を渡してくれたのです。何度かクルーの方に心遣いを頂いたことはありますが、こういう装丁のものは初めてでした。その場で開けるのもどうかと思い、自宅に戻ってから中を拝見したのですが、開けて本当にビックリ😳
日航の絵葉書に「JAPAN AIRLINES 70 YEARS!」と大きく手書きでタイトルされたメッセージでした。そこには「○○様をはじめ、沢山のお客様に愛情いっぱいに育てていただいたJAL…」と書かれていました。さらに、金・銀の星型シールをあしらい、胴体上部に手書きで「JAL 70YEARS!! 1951-2021」と書かれたボーイング777のミニチュアが添えられていました。
つまりKさんはステッカーの代わりに、手間を割いて自作で70周年の記念品を作ってくれたのです。これ以上の心遣いがあるでしょうか?
私にとって、一生涯の大切な宝物です🎁
降機の際には、Aさんが「ステッカーの件すみません」と、代わりにA350のタグを手土産に見送ってくれました。最後まで温かい気遣い。
この素晴らしいフライトを、私は永遠に忘れることはないでしょう。
#わたしとJAL #旅写真