搭乗日
2001年07月
「ボンQ」とはどこから呼ばれ始めたか
エアーニッポンQ300大島発初便出発前です。
現在国内線で飛ぶDHC-8型機には胴体が長い-400型、短い-200型がありますが、かつては-100・-300も飛んでいました。
以前のメーカーであるボンバルディアでは「ボンバルディアQシリーズ」として括り、メディアではCRJと合わせて「ボンバル機」なる表現が見られます。
これはメーカー名称を短縮したものと判りますが、いっぽう旅客機趣味者間では「ボンQ」。
なるほどDHC-8シリーズがQシリーズでもあるので、思い切り短縮したと判りますが、私がこれを初めて耳にした時は「は!?」と思いました。
2000年代初頭、琉球エアーコミューター・天草エアラインのスタッフからも趣味者からも、その呼称は耳にしたことがありませんでした。
このシリーズが国内で趣味者の目によく触れるようになり、その画像がネット等で広まるともに「ボンQ」も広まる、そのきっかけはきっとこれ!!
エアーニッポンのQ300、JA801Kです。
2001年7月1日羽田~大島に就航。1日3往復。
同年12月に802Kが来ますが、それまで56人乗りDHC-8はこの1機のみ。けれども羽田発着ゆえ多くの趣味者の目に留まるようになり、そこから「ボンQ」なる愛称が広まったに違いない!
けれどもANA時刻表には「デハビランドDHC-8」とJAL時刻表と同じ表記でした。メーカーはボンバルディアで、それを知る趣味者は時刻表記載「デハビランド」を眼中に入れなかったと考えます。
因みにRAC・AMXファンのこの頃の呼び方は、運航側と同じく「ダッシュエイト」。これ以外だと「72」「73」「74」とか。
では私がQ300をどう呼んだかといえば、ANKで就航する前の年に立榮航空台湾国内線で乗った時は「ダッシュエイト300型」、ANK Q300就航初便搭乗時には前月にANK CAさんから聞いた「Q300」をそのまま用いていました。
ところで2010年代になってANAウイングスで緑色のQ400が登場、ANAオフィシャルの愛称は「エコボン」。公式が「ボン」と略して来た??→ここから先はANAコミュニティ方面へハンドオフ。
(本稿は https://trico.jal.com/instantarticle/jaltalk/172810/ の補足でもあります。)
#RAC #JAC #ORC
以前のメーカーであるボンバルディアでは「ボンバルディアQシリーズ」として括り、メディアではCRJと合わせて「ボンバル機」なる表現が見られます。
これはメーカー名称を短縮したものと判りますが、いっぽう旅客機趣味者間では「ボンQ」。
なるほどDHC-8シリーズがQシリーズでもあるので、思い切り短縮したと判りますが、私がこれを初めて耳にした時は「は!?」と思いました。
2000年代初頭、琉球エアーコミューター・天草エアラインのスタッフからも趣味者からも、その呼称は耳にしたことがありませんでした。
このシリーズが国内で趣味者の目によく触れるようになり、その画像がネット等で広まるともに「ボンQ」も広まる、そのきっかけはきっとこれ!!
エアーニッポンのQ300、JA801Kです。
2001年7月1日羽田~大島に就航。1日3往復。
同年12月に802Kが来ますが、それまで56人乗りDHC-8はこの1機のみ。けれども羽田発着ゆえ多くの趣味者の目に留まるようになり、そこから「ボンQ」なる愛称が広まったに違いない!
けれどもANA時刻表には「デハビランドDHC-8」とJAL時刻表と同じ表記でした。メーカーはボンバルディアで、それを知る趣味者は時刻表記載「デハビランド」を眼中に入れなかったと考えます。
因みにRAC・AMXファンのこの頃の呼び方は、運航側と同じく「ダッシュエイト」。これ以外だと「72」「73」「74」とか。
では私がQ300をどう呼んだかといえば、ANKで就航する前の年に立榮航空台湾国内線で乗った時は「ダッシュエイト300型」、ANK Q300就航初便搭乗時には前月にANK CAさんから聞いた「Q300」をそのまま用いていました。
ところで2010年代になってANAウイングスで緑色のQ400が登場、ANAオフィシャルの愛称は「エコボン」。公式が「ボン」と略して来た??→ここから先はANAコミュニティ方面へハンドオフ。
(本稿は https://trico.jal.com/instantarticle/jaltalk/172810/ の補足でもあります。)
#RAC #JAC #ORC